授賞式の会場はごった返していた。
今年の「ノン・フィクション賞」の受賞者が2名、「エッセイ賞」が2名、「科学出版賞」が1名。それぞれの知人、友人が祝賀のために集まっているのだから、大きなパーティー会場に人があふれていても当然だろう。
式次第はきまりきったもので、まず主催者側の挨拶、賞の贈呈、そして選考経過の報告。6時過ぎにはじまったが、受賞者が挨拶したのは、七時になっていた。
1時間以上も、パーティー会場に立たされているのは、高齢者にとっては苦痛であった。
ああいうパーティーにもある種の「演出」が必要で、司会者が機敏にその場の雰囲気、空気の流れをみて、てきぱきと進めてゆくほうが、参加者としてはありがたい。まさか、ハリウッドの「アカデミー賞」や、ニューヨークの「トニー賞」のようにはいかないだろうが、だらだらと進行してゆくだけの授賞式というのは退屈なものだった。
去年のパーティーでは、選考委員のひとりが、35分もしゃべりつづけたという。それを聞いたほかの人たちが、同程度の時間をかけて挨拶したらしく、出席者はげんなりしたにちがいない。
「ノン・フィクション賞」の委員が出席できなかったため、急遽、柳田 邦男が挨拶にたった。今回をもって、選考委員を勇退するらしく、感慨深げにそれまでの受賞作にまでふれていたが、話はうまくなかった。
このとき、雛壇からそれほど離れていない(ただし、柱の横)に陣どった作家、・・・・が携帯を出して、誰かに連絡した。無神経というか、傍若無人というか。作家は声を低くして話しているのだが、静まり返った場内にその声が響く。どうやら、作家は予定していたつぎの会合に間にあわないらしい。15分、遅れると連絡していた。
かなり離れていた私にも、その声は聞こえたのだから、ほかの人々にもきっと聞こえたにちがいない。
いくら多忙な流行作家でも、無神経というべきだろう。選考経過を報告している人の話の邪魔になる。失礼なことだと思う。
テレビで話をするこの作家を見たことがある。しかし、こういう場所にきて、柳田 邦男の話が長くなって予定が狂ったにせよ、その場をはずして、会場外の受付あたりで、携帯で連絡すべきだろう。
ちかごろはマナーも知らない連中が、作家になっている。私はこの作家さんに対する敬意を失った。
昔、おなじ場所で、小林 秀雄が挨拶した。
最近、小林の語りが、志ん生に似ていると書いている人がいたが、私の聞いた感じでは、むしろ文楽によく似ていた。大学で講義を聴いた時分の小林とは、すいぶんちがっていた。そのあと、小林は井伏 鱒二と話をしたが、しばらくぶりに会ったらしく、お互いに話に興じていた。
偶然、近くに立っていたので、私はふたりの話を立ち聞きするかっこうになったが、お互いに昨日別れたばかりで、すぐに話をつづけている友人のようだった。こういう一流の文学者の姿ははたで見ていてもじつに美しいと思った。
あの頃は、・・・・のような作家はいなかったな。少しだけ苦いものを感じながら、選考の経過報告を聞いていた。
柳田 邦男の話の内容はいいものだったが、長時間、立ちっ放しで、受賞作の講評を聞かされると、うんざりする。こういう席では、話し手は参加者の空気の流れを読まなければならない。
文学関係のパーティーではなかったが、フランス大使館で行われたパーティーで挨拶したイヴ・モンタン。そのときの話に私は驚嘆した。これに対して、日本側を代表して挨拶した三船 敏郎の話の空虚だったこと。つづいて三国 連太郎の話のひどかったこと! モンタンの教養の深さと、ことばの一つひとつににじみ出る高潔な人柄といったものが、日本の俳優にはまったくなかった。通訳の女性も困ったらしく、三国 連太郎の話の何カ所もカットしたことを思い出す。
それにしても小林 秀雄の挨拶は、洒脱で、しかも犀利、いなせな江戸弁の語りくちが綺麗だった、などと思い出したところで、やっと受賞者たちの挨拶になった。
受賞者たちの挨拶は、それぞれにすばらしいものだった。最相 葉月が、星 新一の評伝を書くにあたって、サン・テクジュペリの伝記に触発されたことをあげた。これが心に残った。
岸本 佐知子の話は、短いものだったが、ウイットがきいて、場内に明るい笑い声があがった。
「翻訳の世界」にエッセイの連載をはじめたとき、知らない読者が編集者に電話で抗議してきたという。「翻訳の世界」には、語学や文章にかかわるまじめな研究や指針が掲載されているのに、岸本 佐知子のエッセイは、何の役にも立たないことばかりしか書いていない。すぐに打ち切ってほしい、といった内容だったらしい。
世間には、こういうバカが多い。本人も翻訳家志望だったのだろう。こういうバカが翻訳したところで、ろくな翻訳ができるわけもない。
編集者からそれを知らされた岸本 佐知子はいう。
「その話を聞いたときに私の方向性がきまったんです。役に立つものなんか死んでも書いてやらん、と」
会場に明るい笑い声があがった。それまでの堅苦しい、気鬱っせいな空気がいっぺんに消えた。ウイッティな彼女の話はみんなが好意をもって聞いたにちがいない。
それからあとは参加者たちのパーティーになる。
いっせいに人の動きが起きて、受賞者たちを囲む人の輪がいくつもできた。ごった返している。私は隅に立って、誰か知人はきていないだろうか、と視線を動かしていた。
ひとごみのなかに山本 やよいと田栗 美奈子がいた。私はほっとした。
ふたりとも有名な翻訳家で、山本 やよいはサラ・パレツキーのシリーズで、田栗 美奈子は『Itと呼ばれた子』で知られている。ふたりとも岸本 佐知子の親しい友人として出席したのだろう。
山本 やよいは上品な和服。美奈子ちゃんはすっきりしたドレス。ふたりが私を見つけて歩み寄ってくると、あたりの人たちはいっせいに私に注目した。こんな美しい女性がなつかしそうに話しかける老人は何者だろう?
やよい女史は、私の顔を見るなり、
「先生、お久しぶりでございます。・・」
私の風躰を見て、
「先生、おいくつになられましたの?」
田栗 美奈子は私に挨拶したあと、美しい蝶のように飛び去ると、雛壇の前までたどりつき、しきりに佐知子の写真を撮っていた。
この夜、岸本 佐知子は、ごった返す会場のなかで、たくさんの友人たちにとり囲まれながら、私のノートに走り書きで、
なんだか動物園の珍獣の気持ちがわかりました。
と書いてくれた。
若い頃の私は、知人の出版記念会や文学関係のパーティーによく出席したものだった。先輩の作家に紹介してもらったり、同時代の気鋭の文学者の姿をまのあたりに見ることがうれしかった。
いつしか、そうした会合に出席しなくなった。文学関係のパーティーに出席しなくなって、かれこれ三十年になる。
ようするに「文壇喜劇」(コメデイ・リテレール)に興味がなくなった。私は登山に熱中するようになっていたし、ルネサンスに生きた人々の運命をたどることに精力をそそいでいたから。
その私が岸本 佐知子の授賞式に出たのは異例のことであった。私にとっては、岸本君はそれほどにもたいせつな友人のひとり。
今後はたとえ知人の出版記念会であっても、文学関係のパーティーに出席するつもりはない。