652

今年の夏は暑かった。毎年、そんなことをつぶやいている。

 本も読まない。いちばん、熱心に読んだのは、最近、ボストンのJFK記念図書館が、公表したイングリッド・バーグマンにあてたヘミングウェイの手紙。井上 篤夫が、わざわざコピーして送ってくれた。
 バーグマンは、ハリウッドを去って、ロベルト・ロッセリーニと結婚したため、世界中から非難の眼をむけられていた。映画に出る機会を奪われて、いわば失意のどん底にあった女優に、『老人と海』を発表する前の作家がどういう手紙を送っていたのか。

 いずれ、井上君が書くだろう。

 暑いので、三遊亭 圓朝の『真景累ケ淵』(岩波文庫)を読んだ。これは凄い。
 これまでの文学史では、圓朝などはほとんどとりあげられることがなかった。とりあげられても、講談、講釈師としての圓朝にとどまっている。
 私は、むしろ、作家としての圓朝をあらためて評価すべきだろうと考える。ホラーの作家として見てもいいし、不条理の作家として評価してもいい。ただし、圓朝の人間観察、洞察の深さを前にして、絹友社の作家たち、自然主義の作家たち、さらには志賀 直也、武者小路 実篤たちの文学など、どれほどのものでもない。

 私はなにより語りくちのみごとさに気がついた。これだけのストーリー・テリングが、日本の文学から失われてしまったと思うと、背筋が寒くなった。だから、夏に読んでよかった。

 久しぶりに音楽を聞いている。どれも、私の好みのものばかり。
 たとえば、ギリシャのハリス・アレクシーウ、ポーランドのエワ・マルツィーク。イスラエルのヤルデナ・アラージ。そしてポルトガルのマドレデウス。
 彼女たちの「声」を聴いたあと、アメリカのポップシーンに関心がなくなってくる。
 つまり、私の好みはますます偏狭なものになっているだろう。それでいいのだ。