671

私の「文学講座」にきている女の子から、おもいがけない知らせをもらった。
 声帯をいためて、医者に「仕事以外ではなるべく声を出さないように」といわれたという。心配した。

 さいわい、もう病院通いをしなくてもすむらしい。

 女の子といっても、剣道三段。しかも、熱烈なシャーロッキアン。マンガ、アニメを語らせれば他の追随をゆるさない。
 この夏、きっと甲子園か世界陸上、声をからして声援したか、「アリオン」、「オリジン」から「デスノート」(完全決着版)まで徹夜で読みふけったせいだろう。
 せっかくの美声が聞けないのは残念。

 すぐにお見舞いを出した。赤塚 不二夫の「ウナギイヌ」が半欠けの月を見ている絵ハガキ。

    名月や とはいふものの 籠見かな

 じつは、一茶の句のパクリ。原作は、稲見かな。
 この句では「や」と「かな」を重ねている。切れ字の重なりは、俳句でもっとも忌むべきものとされている。一茶が知らないはずはない。それを承知の上で、一茶は使っていると見てよい。このあたりに、一茶の傲岸を見る人もいるだろう。
 私はむしろ、一茶が世の常識を踏みやぶって、ささやかな反骨ぶりを見る。

 ゆかりさん、はやくよくなってください。

670

 友人の竹内 紀吉は、私の顔を見るとすぐに切り出す。
 「先生、・・・・をお読みになりましたか。あれはいい作品ですねえ」
 私たちの話はいつもそんなふうにはじまるのだった。

 その作品に不満があっても、私はたいてい黙っている。彼の批評を聞いて、はじめて自分の判断が誤りだと気がつくことがあるから。
 私が不満をもっているのに、作家がまるで不満をもっていないことがわかるような場合、私はたいてい黙って彼の批評を聞いている。そして別の作品に話を移す。

 こっちが満足しているのに、作家としては、けっして満足していないらしいことがわかるような作品。そういう作品に対しては、私は極力ほめるようにする。

 そうなると、竹内君はちょっと不満そうな顔をするのだった。

 竹内 紀吉が亡くなって、もう三周忌になる。

(注)竹内 紀吉(元・浦安図書館長。千葉経済大・教授)
   ’05年8月23日、急逝。

669

 井上 篤夫が、イングリッド・バーグマンについて書いていた。(「週刊新潮」07.9.6日号)とてもいい記事だった。

 「ある日、プールのベンチに腰かけていて涙があふれてきたことがあるの。何不自由のない暮らしなのに満たされない。胸が張り裂けそうでした。」

 井上君は、バーグマンのことばを引用して、

 「女優としてじつに3度のオスカーに輝いたバーグマン。そのバーグマンにして、そうした問いかけを胸の内で反芻していたという事実は、私の心を静かに打つ。」

 このことばから私は別のことを想像した。

 バーグマンは、スクリーンだけでなく、どこでも男の注意を一身にあつめる。ハリウッドでも、ローマでも、パリでも。
 世界的なスターだから当然なのだが、彼女自身も、ある時期まではそういうことを楽しんでいたに違いない。なんのために? べつに目的があったわけでもないだろう。ほんの一瞬のよろこび、ほんの少しでも男性の関心を喚び起そうとする快楽。女優でなくても、たいていの女は、人生をつうじて、そうしたよろこびをいつも気にかけている。
 だが、女優にはいつかかならず、そうしたことが許されなくなる時期がやってくる。いわば、自分の魅力が無残に自分自身を裏切るような瞬間が。

 それこそがひどく孤独な瞬間として、立ちはだかってくる。プールのベンチに腰かけていなくても涙があふれてくるだろう。それは、ことばではつたえられないほどの孤独感だったに違いない。

 きみはいくつなの、マリアンヌ? 十八歳? ひとに愛されるのはあと五、六年。きみがひとを愛するのは、八年か、十年。あとは神に祈るための年月……
 これは、ミュッセの芝居に出てくる。
 私は、マリリン・モンローが死ぬ十日前に、「ライフ」のインタヴューで語っていたことばを思い出す。
 バーグマンもマリリンも、女としてのぎりぎりの声をあげていた。それを思うと、なぜか、いたましい。

 むろん、女優でなくても、こうした瞬間は誰にでも訪れるかも知れない。しかし、ラッキーなことに女はたいていすぐに忘れる。

668

 
 暑い夏の一日、井上 篤夫君と話をした。

 それまで貞節だと思われていた「戦後」の女優、イングリッド・バーグマンが、夫を捨て、イタリアの映画監督、ロベルト・ロッセリーニのもとに奔ったため、世界中のジャーナリズムから非難された。
 このとき、作家、アーネスト・ヘミングウェイがバーグマンに手紙を送った。

 JFK記念図書館が、最近、この手紙を公開したので、井上君がさっそく私に見せてくれたのだった。
 この手紙をめぐっていろいろと語りあったのだが、話をしているうちに、私はいろいろなことを思い出した。

 映画スターという名のアイドルは、通俗小説のヒロインにはなっても、忌まわしい犯罪などに関係するはずがないと思われてきた時期がある。
 映画スターはスクリーンの上に君臨してきたが、そのためさまざまな神話や伝説が生まれた。そうした神話や伝説を身にまとうことで、スターはスターであり得た部分もある。
 やがて、観客の側のいわば身勝手な想像と、生身のスターの虚実の差は、たとえば犯罪事件によって、はっきりあらわれてくる。
 スターは、まさに人間のかたちをとった神々として崇拝されてきた。こうした聖性(サントテ)は、現実のスター自身が不思議に思うようなたくさんの人格の混合からあらわれる。つまり、観客によって作られながら、逆に観客自身の何か、ときには運命さえも支配する現実的な力なのだ。こうした二重性は、ほとんど背理的なものだった。

 ルドルフ・ヴァレンティノやジェームズ・ディーンのように、死んでしまってからも不死の存在になった俳優もいる。ガルボのように生ながら神話的な存在になった女優もいた。クラーク・ゲーブルやジェームズ・キャグニーのように、ときには人間を超越した半神的な存在になったりする。

667

そういえば、其 角に、

   十五から 酒を呑み出て けふの月

 という句がある。

 『北窓瑣談』の著者は、

   十五に春情きざせるをいひ取り、酒に全盛を尽し、けふの月五文字に零落の姿をうつす。絶妙の作といふべしと評する。

 其 角はこの批評をどう読んだのか。

   朝ごみや 月雪うすき 酒の味

 チェッ、にくいね、このひと。
 いまの感覚では「朝ごみ」といっても、朝のうちに分別ゴミを回収に出すぐらいしか想像できないだろう。
 むろん、こういう酒の味は私の世代では経験がない。
 いい時代だったんだろうなあ。其 角さんがうらやましい。

 私は其 角のようなえらい詩人ではないし、酒に全盛を尽すような風流を知らない。まして、「朝ごみ」の酒の味にも無縁だった。しかし、けふの月に零落の姿をうつしていることはおなじだろう。
 これもあわれ、というべきか。

666

 9月、ようやく秋の気配。

 夏のはじめに、田栗 美奈子が、「今年もまた、暑い暑い夏がやってきました。地球温暖化とやらで、年々、イヤな感じの暑さが増していくようです」と、書いてきた。
 ペルーの地震、北極圏の氷河の崩壊、パリの酷暑、フロリダのハリケーン、ギリシャの広大な山火事、まったく異常な現象がつづいた。
 そして、1929年前夜を思わせる株式市場の激烈な乱高下。北朝鮮の核配備。タリバンによる韓国人の拘束。軍の高度機密漏洩。朝青龍のふてくされ。モンゴルの反日感情。
 こんなことが毎年つづいて、やがて確実に大異変が起こると思うと、さすがに背筋が寒くなる。

 酷暑の日々、本を読むスピードが落ちた。セミもめっきり数が少なくなっている。こうなったら、キリギリスのように遊び暮らすしかない。

 秋になると、ご近所で家の新築がはじまって、私の住んでいる界隈も少しづつ変化してゆく。

     家こぼつ 木立も寒し 後の月      其 角

 九月の十三夜。陰暦の九月だから、木立の景色もさむざむしい。
 私の住んでいる界隈にこうした風情はない。木立さえもないのだから。

665

(つづき)
 別な質問。

   目を大きく見せるお化粧法をお教えくださいませ。
   まつげを長くするには――(岐阜県 一愛読者)

 この回答は――

   眼のまわりの白粉を少し淡めにして、頬紅を淡く眼のまわりにつけると、少しは大きく見えます。あまり強く頬べにをさしますと、眼がくぼんで見えます。まぶちへ淡く黒ぐまをとる方法もありますが、それは顔を凄くして上品ではありません。
   まつ毛を伸ばすには、眼をかるくつむって、まつ毛の先の不ぞろいのところをほんの少し切るのです。伸びては切り伸びては切りたびたびくり返すと美しいまつ毛になります。ただしあまり切り過ぎると悪いのです。ふだんは就寝時にオリーブ油を指の先につけて軽くなでて置くと毛につやがでます。

 昭和初年の女たちも苦労しているなあ。

664

 「人生相談」。英語では、Agony Column という。(シャーロック・ホームズを読んでいて知った。今でも使われているかどうか。)
 私は「人生相談」を読むのが好きである。質問がおもしろいだけではなく、回答者がどういう答えを出しているか、いつも興味がある。回答者は、精神科医、作家、デザイナーとか、各界の有名人たち。
 私が感心するのは、作家たちの回答で、立松 和平、落合 恵子、出久根 達郎といった人びとの回答に敬服している。
 ある有名なデザイナーの回答を読むと、こいつ、バカじゃないのか、と舌打ちしたくなることがあって、たいていは軽蔑する。
 古雑誌に出ている「美容流行相談」も読む。

  元来私は頬がこけて、頬骨が出てゐますので、当年二十一才の処女ですが、二十五六才に見え、時には三十才位に見えます。着物の柄は年相当のものを着てゐますが、化粧着付、髪はどうしたらよいでせうか。(珠江)

 回答者は、銀座美容院の早見 君子女史。(昭和4年「婦人世界」12月号)

  お若いのに年がふけて見えるのは嬉しいことではありませんか。ふけて見えるのに年相応のみなりでは調和の問題がどうなりませうか。さうかと申してあまり地味なものはいけませんから、柄ははでにして、色を地味にしてはいかがですか。中年の人を若く見せるにしてもこの方法をとります。

 いまどき「お若いのに年がふけて見えるのは嬉しいことではありませんか」なんてヌカしたら、たいへんだろうね。
 それにしても、ことば使いがいい。「調和の問題がどうなりませうか」。これがいまならハーモニーというより、バランスというところだろう。
 巻頭グラビアの美女は、伯爵夫人、堀田 秀子。子爵夫人、岡崎 岳子。
 グラビアに「年々毎に洋装の方が殖えて、すっかり御自分のものとして着こなしてゐらっしゃる方の多くなりましたことはほんとうに嬉しいことでございます。けれどまだまだ正しい下着の着方について考へてゐらっしゃる方が余りないと存じます」とあって、すらりとした(ただし、貧乳の)上品なモデルさんが、メリヤスシミー、ガーター(コールセット)、ブラジェアー(乳押え)、ブルーマーをつけてお立ちになっている。
 最後に、羽二重シミーズをつけたところ。
 (つづく)

663

 
 音楽を聴く。
 自分の時間ではないような時間のなかで、自分ではないような自分のことを考える。

 ロックの時代の終焉という。私の意見ではない。だが、私にいわせれば、ロックの時代はとっくの昔に終ってしまったのだ。

 ロックにかぎらないが、いい音楽というものは、作曲者、演奏者が作りあげたものとは、ほんらい別のもののように聞こえるかどうかにかかっている。
 おびただしいグループのおびただしい曲がほんの一時演奏されては消えて行った。
 けっきょくほんの少数のアーティストだけが残って、あとは、ほんとうに雲散霧消してしまう。どういうジャンルでもおなじことだ。

 それでいいと思う。

 ただし、いい曲は、かならず変化する。だから残るともいえる。いろいろと変化したり、いろいろなアーティストによって変奏されることによって、その価値(というか、永続性)が保有されてゆく。

 いい例が、テレサ・テンの「但願人長久」。この曲が、王 菲によってみごとに変化していること。そのすばらしさに甲乙はつけがたい

662

 しばらくぶりにCDを聴いた。
 去年からの私はしばらく音楽から離れていた。別に深い理由があってのことではない。ただ、親しい友人がつぎつぎに亡くなって、自分だけの喪に服していたので音楽を聴くことがなかった。

 マリア・グレギナ。
 私は、リューバ・カザルノフスカヤのファンなのだが、リューバ以後のオペラ歌手としてはマリア・グレギナにもっとも期待していた。
 サントリー・ホールのコンサートも聞いている。その後、世界的な名声を博していたマリアを実際に見たのは、98年に新国立劇場、『アイーダ』だった。

 久しぶりに聴いたマリアは、オペラではなく、グリンカ、ラフマニノフ、チャイコフスキーの歌曲。

 久しぶりにロシアの曲を聞いて感動した。
 私はロシア語を知らないのだが、ルインディンの詩句、

   きみといっしょにいて
   黙って きみのバラ色の瞳に
   心を沈めることは なんと楽しいことか

 あるいは、

   ぼくはきみを見つめるのが好き
   その微笑には なんと多くのなぐさめが
   そのしぐさには なんと多くの
   優しさが あふれていることか

 といったことばが、マリアの声になったとき、私は、ある夏の日のことを思い出した。
 ある画家のアトリエを訪れたのだが、私の住んでいる千葉からは遠いので、前の晩、ある温泉に泊まって、翌朝、田舎の鉄道に乗って、やっとたどり着いたのだった。

 マリア・グレギナの歌う、プーシュキンの「私はあのすばらしいいっ時をおぼえている」を聞きながら、私はまたしても、はげしく心を動かされた。

   私はあのすばらしいいっ時をおぼえている
   私の前にきみは姿をあらわした
   たまゆらの まぼろしのように
   きよらかな 美の化身のように

 生涯、もっとも幸福だった夏の日。・・

661

 アメリカ。野球の殿堂。鉄人、カール・リプケンの殿堂入りのニューズ。(07/8/1)リプケンが、記者会見の席上でユーモラスに挨拶した。

 つい最近、私は10歳の少年のコーチをしました。素質のいい子で、しばらくすると、けっこうバットがふれるようになりました。
 少年が不思議そうに私に訊いたんです。
 『おじさん、前に野球をやっていたの?』

 かつてアメリカン・リーグで、最多出場記録をもつリプケンを知らない子どもたちがそだっている。それは当然のこととして、私が感心するのは、功なり名をとげた選手が、小学生を相手に熱心に野球を教えている姿である。
 これこそが伝統というものなのだ。
 この日、「ヤンキース」の松井 秀喜が月間MVPになった。7月、13本のホームランが評価されたのだろう。野茂、伊良部、イチローにつづいて、日本人選手としては4人目。

660

中世の騎士、オリヴィエは、日頃、自他ともに認める精力絶倫の男性だった。どれほど絶倫だったか。一度の性行為で、百回は果たせると豪語していた。

 その噂を聞いたカルル大帝は、さっそくオリヴィエを召し出して、噂が事実かどうか、ご下問あそばされた。騎士はもとより事実であると答えた。たまたま、うら若い処女の身ながらこの席に列していた大帝の皇女がこれを聞いて、それが事実かどうかたしかめてみよう、ついては姫御前みずからが相手をつとめよう、と仰せられた。
 ただし、それが事実にあらざるときは、死罪をもってむくいるがよいか、と姫御前が仰せられた。
 騎士において、もとより、いなやはない。

 さて、ふたりはさっそくに一儀に及んだ。
 結果は、さしもの騎士も、三十回でついに降参した。

 姫君は、もとより恍惚としてひたすら陶酔していたため、これほどの男にめぐり逢うたしあわせを失う気はなかった。
 父、大帝が、オリヴィエ殿の噂ははたして事実なりしか、とご下問あそばされたとき、姫は婉然たる風情で、騎士殿の噂はもとより事実で、百回に及んだと答えて、父をあざむいた。

 こういう民話から何が見えてくるか。
 素朴なかたちだが、中世の男性の性的エネルギーに対する称賛はもとより、女性の処女性に対する攻撃の正当性、性を磁場とする女のオーガズムに対する(男の)期待が見られる。
 そして、オーガズムはあくまで膣=ペニスの結合の回数に支配されるものとして考えられていること。
 まだ、いくらでも考えられることがある。みなさんが考えてください。

 ヒント。自分が実際にセックスしていることと、自分がしていると思っているセックスの違い。

659

 授賞式の会場はごった返していた。
 今年の「ノン・フィクション賞」の受賞者が2名、「エッセイ賞」が2名、「科学出版賞」が1名。それぞれの知人、友人が祝賀のために集まっているのだから、大きなパーティー会場に人があふれていても当然だろう。

 式次第はきまりきったもので、まず主催者側の挨拶、賞の贈呈、そして選考経過の報告。6時過ぎにはじまったが、受賞者が挨拶したのは、七時になっていた。
 1時間以上も、パーティー会場に立たされているのは、高齢者にとっては苦痛であった。
 ああいうパーティーにもある種の「演出」が必要で、司会者が機敏にその場の雰囲気、空気の流れをみて、てきぱきと進めてゆくほうが、参加者としてはありがたい。まさか、ハリウッドの「アカデミー賞」や、ニューヨークの「トニー賞」のようにはいかないだろうが、だらだらと進行してゆくだけの授賞式というのは退屈なものだった。

 去年のパーティーでは、選考委員のひとりが、35分もしゃべりつづけたという。それを聞いたほかの人たちが、同程度の時間をかけて挨拶したらしく、出席者はげんなりしたにちがいない。

 「ノン・フィクション賞」の委員が出席できなかったため、急遽、柳田 邦男が挨拶にたった。今回をもって、選考委員を勇退するらしく、感慨深げにそれまでの受賞作にまでふれていたが、話はうまくなかった。
 このとき、雛壇からそれほど離れていない(ただし、柱の横)に陣どった作家、・・・・が携帯を出して、誰かに連絡した。無神経というか、傍若無人というか。作家は声を低くして話しているのだが、静まり返った場内にその声が響く。どうやら、作家は予定していたつぎの会合に間にあわないらしい。15分、遅れると連絡していた。
 かなり離れていた私にも、その声は聞こえたのだから、ほかの人々にもきっと聞こえたにちがいない。
 いくら多忙な流行作家でも、無神経というべきだろう。選考経過を報告している人の話の邪魔になる。失礼なことだと思う。
 テレビで話をするこの作家を見たことがある。しかし、こういう場所にきて、柳田 邦男の話が長くなって予定が狂ったにせよ、その場をはずして、会場外の受付あたりで、携帯で連絡すべきだろう。
 ちかごろはマナーも知らない連中が、作家になっている。私はこの作家さんに対する敬意を失った。

 昔、おなじ場所で、小林 秀雄が挨拶した。
 最近、小林の語りが、志ん生に似ていると書いている人がいたが、私の聞いた感じでは、むしろ文楽によく似ていた。大学で講義を聴いた時分の小林とは、すいぶんちがっていた。そのあと、小林は井伏 鱒二と話をしたが、しばらくぶりに会ったらしく、お互いに話に興じていた。
 偶然、近くに立っていたので、私はふたりの話を立ち聞きするかっこうになったが、お互いに昨日別れたばかりで、すぐに話をつづけている友人のようだった。こういう一流の文学者の姿ははたで見ていてもじつに美しいと思った。
 あの頃は、・・・・のような作家はいなかったな。少しだけ苦いものを感じながら、選考の経過報告を聞いていた。
 柳田 邦男の話の内容はいいものだったが、長時間、立ちっ放しで、受賞作の講評を聞かされると、うんざりする。こういう席では、話し手は参加者の空気の流れを読まなければならない。
 文学関係のパーティーではなかったが、フランス大使館で行われたパーティーで挨拶したイヴ・モンタン。そのときの話に私は驚嘆した。これに対して、日本側を代表して挨拶した三船 敏郎の話の空虚だったこと。つづいて三国 連太郎の話のひどかったこと!  モンタンの教養の深さと、ことばの一つひとつににじみ出る高潔な人柄といったものが、日本の俳優にはまったくなかった。通訳の女性も困ったらしく、三国 連太郎の話の何カ所もカットしたことを思い出す。
 それにしても小林 秀雄の挨拶は、洒脱で、しかも犀利、いなせな江戸弁の語りくちが綺麗だった、などと思い出したところで、やっと受賞者たちの挨拶になった。

 受賞者たちの挨拶は、それぞれにすばらしいものだった。最相 葉月が、星 新一の評伝を書くにあたって、サン・テクジュペリの伝記に触発されたことをあげた。これが心に残った。

 岸本 佐知子の話は、短いものだったが、ウイットがきいて、場内に明るい笑い声があがった。
 「翻訳の世界」にエッセイの連載をはじめたとき、知らない読者が編集者に電話で抗議してきたという。「翻訳の世界」には、語学や文章にかかわるまじめな研究や指針が掲載されているのに、岸本 佐知子のエッセイは、何の役にも立たないことばかりしか書いていない。すぐに打ち切ってほしい、といった内容だったらしい。
 世間には、こういうバカが多い。本人も翻訳家志望だったのだろう。こういうバカが翻訳したところで、ろくな翻訳ができるわけもない。
 編集者からそれを知らされた岸本 佐知子はいう。
 「その話を聞いたときに私の方向性がきまったんです。役に立つものなんか死んでも書いてやらん、と」
 会場に明るい笑い声があがった。それまでの堅苦しい、気鬱っせいな空気がいっぺんに消えた。ウイッティな彼女の話はみんなが好意をもって聞いたにちがいない。

 それからあとは参加者たちのパーティーになる。
 いっせいに人の動きが起きて、受賞者たちを囲む人の輪がいくつもできた。ごった返している。私は隅に立って、誰か知人はきていないだろうか、と視線を動かしていた。
 ひとごみのなかに山本 やよいと田栗 美奈子がいた。私はほっとした。
 ふたりとも有名な翻訳家で、山本 やよいはサラ・パレツキーのシリーズで、田栗 美奈子は『Itと呼ばれた子』で知られている。ふたりとも岸本 佐知子の親しい友人として出席したのだろう。
 山本 やよいは上品な和服。美奈子ちゃんはすっきりしたドレス。ふたりが私を見つけて歩み寄ってくると、あたりの人たちはいっせいに私に注目した。こんな美しい女性がなつかしそうに話しかける老人は何者だろう?
 やよい女史は、私の顔を見るなり、
 「先生、お久しぶりでございます。・・」
 私の風躰を見て、
 「先生、おいくつになられましたの?」

 田栗 美奈子は私に挨拶したあと、美しい蝶のように飛び去ると、雛壇の前までたどりつき、しきりに佐知子の写真を撮っていた。
 この夜、岸本 佐知子は、ごった返す会場のなかで、たくさんの友人たちにとり囲まれながら、私のノートに走り書きで、

     なんだか動物園の珍獣の気持ちがわかりました。

 と書いてくれた。

 若い頃の私は、知人の出版記念会や文学関係のパーティーによく出席したものだった。先輩の作家に紹介してもらったり、同時代の気鋭の文学者の姿をまのあたりに見ることがうれしかった。
 いつしか、そうした会合に出席しなくなった。文学関係のパーティーに出席しなくなって、かれこれ三十年になる。
 ようするに「文壇喜劇」(コメデイ・リテレール)に興味がなくなった。私は登山に熱中するようになっていたし、ルネサンスに生きた人々の運命をたどることに精力をそそいでいたから。

 その私が岸本 佐知子の授賞式に出たのは異例のことであった。私にとっては、岸本君はそれほどにもたいせつな友人のひとり。
 今後はたとえ知人の出版記念会であっても、文学関係のパーティーに出席するつもりはない。

658

 パヴァロッテイが亡くなった。
 NHKのニュース。(07・9・6/午後7時50分)。
 この夜、台風9号が接近中で、風雨が強くなっていた。
 午後8時、伊豆の石廊崎の南南西100キロの沖合を、北上している。
 中心気圧、965HP。半径、170キロは風速、25キロ。最大風速、46メートル。
「パヴァロッテイさんは、トリノ・オリンピックで優勝した荒川 静香選手が使用したオペラ、「トゥーランドット」を、開会式で歌いました」
 なんとなくへんな気がした。これだと・・・トリノ・オリンピックで荒川 静香が使ったので、パヴァロッテイが「ネッスン・ドルマ」を歌ったように聞こえる。
 NHKがパヴァロッテイの訃報を流したのはこのときだけだった。あとは、台風関係のニュースだけ。

 私はアトリエにもぐって、パヴァロッテイのCDを探した。
 パヴァロッテイの死が、私に悲しみや、絶望を与えたわけではない。ただ、ある時期まで、パヴァロッテイを多く聴いていたので、彼の死を知って、もう一度、ありし日のテノールを聴くというのはごく自然なことだろう。

 『蝶々夫人』を選んだ。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮。ヴィエンナ・フィル。ミレッラ・フレーニ、ルチャーノ・パヴァロッテイ、「スズキ」は、クリスタ・ルートヴィヒ。(LONDON/1974年1月)
 さまざまなことが心をかすめてゆく。パヴァロッテイとはまるで無関係に。

 パヴァロッテイを聞いていた頃の私はほんとうに苦しい思いをしていた。ある作品を書こうとしていた。書いている本人にもいつ終わるのかわからない。シジフォスのように。
 ほんとうにいい作品は、書いている本人の秘密がいつまでも長くたもたれている作品なのだ。それを読んだひとはそんな秘密が隠されているとはまったく気がつかない。
 幕切れ。パヴァロッテイの「ピンカートン」が空しく呼びかける。まるで、映画音楽だなあ。そう思いながらここにきて感動した。

 つづいて、ヴェルデイの『メサ・ダ・リクェム』。リッカルド・ムーテイ指揮。スカラ。これは、ソヴィエト崩壊前夜のモスクワのライブ(1989年)、テノールはパヴァロッテイではなく、ルチャーノ・デインティーノ。ソプラノは私の好きなリューバ・カザルノフスカヤ。

 閉めきった室内で、カザルノフスカヤを聞いている。不吉にうなりながら、板戸をなぐりつけてくる風の音、はげしい雨とまざりあって、音楽ではない何かを聞いているようだった。

 パヴァロッテイ、71歳。
 昨年、アメリカで、膵臓ガンの手術をうけてから帰国。モデーナで静養していた。
 死因は、ジン不全という。
 残念としかいいようがない。

657

アンジェリーナ・ジョリーを力のない女優ときめつけたが、あまり生意気なことは、できるだけいわないようにしている。
 よくいう岡目八目とやら、ひとさまのアラは眼に立つもので、へたな芝居なんぞ見ているうちに、
 チョッ、なんだよ、ありゃあ。おれがやればこうするところだがなあ。
 などと、つい思ってしまう。

 ついついテングが出たがる。よくない性分。

 悟りなんぞは開こうにも開けない。まだまだ修行が足りないね。

656

最近は映画をあまり見ないのですか、と聞かれた。やっぱり見なくなりましたね、と答える。とくに、ハリウッドの映画を。

 テレビで「トゥームストーン」(サイモン・ウェスト監督/01年)を見た。
 当時、「チャーリーズ・エンジェルス」などの女戦士ものが流行していたので、そんな1本だったらしい。テーマは惑星直列にからむ秘宝の奪いあい。セクシーな美女が、冒険につぐ冒険、ハラハラドキドキのスリル満点。期待したのだが――
 ジョン・ボイドがヒロインの父親をやっているので、つい、見てしまった。これは、ほんのおつきあい程度。

 私はけっこう三級電影片迷なので、セクシーな美女の冒険、ハラハラドキドキのスリルは大好き。
 つまらない映画も見て、ああ、つまらなかった、とつぶやくのが趣味だが、「トゥームストーン」ぐらいつまらない映画を見てしまうと、何もいえなくなる。
 似たような「女戦士アクション」ものでも、香港映画のほうがはるかに高級だよ。女優だって、林 青霞(ブリジット・リン)、張 曼玉(マギー・チャン)は別格としても、呉 辰君(アニー・ウー)、呉 君如(サンドラ・ン)、邱 淑貞(チンミー・ヤウ)、すばらしい女優たちがいくらでもそろっている。

 「トゥームストーン」は、公開されて1カ月もしないうちにもう忘れられてしまうジャンク映画。サイモン・ウェストは、まったく無能な監督。アンジェリーナ・ジョリーも魅力のない女優だった。
 ハリウッドも落ちたものだなあ。

655

よく、こんな批評がある。「……なんて、文学じゃないよ」とか、「……は、ありゃあ芝居になってない」などと。
 私は何かに対して否定的であっても、「……は……ではない」といういいかたをしたことがない。

 食いものは別。

 千葉駅の地下のそば屋。午後の2時過ぎに一杯のカケソバを食った。イヤ、驚きましたナ。
 関東ひろしといえども、ここのソバほど不味いものは食ったことがない。
 ソバ屋の若い衆が昼どきに半茹でにして、しまっておいたものを、そのまま遅い客に出そうって魂胆でしょう。ツケ汁がまた、まずいのなんの。
 チェッ、こんなもののどこがソバだよ。こんなノは、ソバじゃねえや。薬味のそばにねばりついてやがるから、ソバってンだろう。べらぼうめ。
 これは、ソバではない。
 千葉名物だね、こうなると。千葉においでの皆さんに、ぜひ一度、召し上がっていただきたい、くらいのものでしたな。これだけで、生きていることがうれしくなることうけあい。お店の名前は――
 ヤボはよしませう。それをいっちゃあ、おしめえよ。益のねえ殺生を――
 揚幕から駕籠で出た長兵衛が、いい心もちにウトウトしているところに、いきなりカゴ屋が、権八の白刃の光を見て、驚き、だしぬけにドシンと駕籠を落として逃げる。それで、長兵衛がハッと眼をさます。
 ただならぬその場のようすに、長兵衛がカゴの前方(まえかた)にあたるスダレ越しに、じっと暗闇をすかして権八のようすをたしかめる。
 タレをあげてから、いっぱいにからだをのばして、腕組みをして、じっと権八を見据える。
 そこで、「お若えの、お待ちなせえ」

 伊井 蓉峰が本郷の「春木座」でやった、とか聞きましたが――
 これを読んで、ピンとくる人のために。

654

 
 作曲家の武満 徹が亡くなったとき、小さなエピソードを思い出した。
 武満 徹の処女作は「二つのレント」というピアノ曲だった。これが発表されたとき、音楽評論家の山根 銀二が、これは音楽ではない、音楽以前のもの、と批評した。
 この批評を読んだ武満 徹は、映画館に入って暗がりにまぎれて泣いたという。

 後年、指揮者の岩城 宏之がこれにふれている。

   僕は山根銀二さんの批評を軽蔑しながら読んだものですが、しかし、ある意味では偉いと思うんです。『二つのレント』はいま聴くと斬新でもコンテンポラリーでもないんだけれど、山根銀二の感性ではこんなのは音楽ではないというふうに聞こえたわけです。それを正直に書いた批評家がいたということは、ある意味で<素晴らしいこと>だと思います。
   いまの批評家だって、新しい音楽を一度聴いたくらいでは、本当は何が何だかわからないはずなんです。でも何か書かなければならないので、わけのわからないことをくどくどと書いて、わかったような嘘をつくという例がとても多い。それに比べれば、何だこんなものは音楽なんていえない、と書くほうがずっと勇気があります。そうした批評家がもっと出てもいいと、僕は思っています。

 ここに、岩城 宏之の痛烈なアイロニーを見てもいい。実作者と批評家の、宿命的な介離(アンコンパティビリテ)を見てもいい。
 ある批評家には、しばらくすれば「斬新でもコンテンポラリーでも」なくなるような作品に対する本能的な警戒が働く。そういう例も少なくない。
 私も「それを正直に書いた批評家がいたということは、ある意味で<素晴らしいこと>だと」思うけれど、私としては逆に、それほどの権威のある批評家が存在するだろうか、という疑問が先に立つ。

 批評など「馬のシッポにたかるハエ」のようなものだと見たほうがいい。
 ただし、ハエのなかには、ツェツェバエのような危険なヤツもいる。

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 私の俳句。
 街を歩いていると、ふと俳句のようなものがうかんでくる。

 夏の句。旧作。

    蔦からむ廃屋の昼 犬吠える

 俳句とはいえないね。廃屋なのだから誰も住んでいない。だから、このイヌは飼い犬ではない。真昼に、軒のかたぶいたような家のそばを通り抜けようとしたら、イヌに吠えられた。

    ザクロ割れて 蟻の歩みに日の昏(く)れる

 これまた、俳句とはいえないようなしろもの。
 夕方、散歩の帰り、ご近所のザクロの割れているのを見た。それだけのこと。

    日の暮れに 天つ空なるひと在りや

 これは「恋」の句のつもり。

    まくなぎを払いつ 白昼(まひる)ヌード描く

 私の小さな仕事部屋の壁に、女子美の生徒が描いてくれた自分のヌード(50号)のキャンバス。書棚の横に、トム・ワッセルマンのヌードの絵ハガキを小さなフレームに入れて飾ってある。ある女性が暑中見舞いにくれたもの。
 ある時期、油絵やアクリルで描いていた。そのまま戸棚に放り込んでおいたところ、おびただしい亀裂ができたり、カビがひろがっていた。みんな焼き捨ててしまった。
 最近は、水彩しか使わない。

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今年の夏は暑かった。毎年、そんなことをつぶやいている。

 本も読まない。いちばん、熱心に読んだのは、最近、ボストンのJFK記念図書館が、公表したイングリッド・バーグマンにあてたヘミングウェイの手紙。井上 篤夫が、わざわざコピーして送ってくれた。
 バーグマンは、ハリウッドを去って、ロベルト・ロッセリーニと結婚したため、世界中から非難の眼をむけられていた。映画に出る機会を奪われて、いわば失意のどん底にあった女優に、『老人と海』を発表する前の作家がどういう手紙を送っていたのか。

 いずれ、井上君が書くだろう。

 暑いので、三遊亭 圓朝の『真景累ケ淵』(岩波文庫)を読んだ。これは凄い。
 これまでの文学史では、圓朝などはほとんどとりあげられることがなかった。とりあげられても、講談、講釈師としての圓朝にとどまっている。
 私は、むしろ、作家としての圓朝をあらためて評価すべきだろうと考える。ホラーの作家として見てもいいし、不条理の作家として評価してもいい。ただし、圓朝の人間観察、洞察の深さを前にして、絹友社の作家たち、自然主義の作家たち、さらには志賀 直也、武者小路 実篤たちの文学など、どれほどのものでもない。

 私はなにより語りくちのみごとさに気がついた。これだけのストーリー・テリングが、日本の文学から失われてしまったと思うと、背筋が寒くなった。だから、夏に読んでよかった。

 久しぶりに音楽を聞いている。どれも、私の好みのものばかり。
 たとえば、ギリシャのハリス・アレクシーウ、ポーランドのエワ・マルツィーク。イスラエルのヤルデナ・アラージ。そしてポルトガルのマドレデウス。
 彼女たちの「声」を聴いたあと、アメリカのポップシーンに関心がなくなってくる。
 つまり、私の好みはますます偏狭なものになっているだろう。それでいいのだ。