映画監督のイングマール・ベルイマンが亡くなった。享年、89歳。(2007年7月30日)
ベルイマンの映画はほとんど見た、と思う。当然、私なりに感慨がある。
はじめて見たのは「夏の夜は三たび微笑む」(55年)だったが、スウェーデンの若い娘が白夜の湖畔にみずみずしい裸身をさらすシーンに眼をうばわれた。このときは、ただ青春映画の監督という印象しか受けなかった。当時、そんな映画がヨーロッパじゅうに氾濫していたせいもある。
中世の騎士の遍歴を描いた「第七の封印」(56年)で、はじめてこの監督の資質に気がついた。それは、やがて私自身がヨーロッパの中世に眼をむける端緒になったといえるかも知れない。おなじ時期、ごく少数の人だけが試写を見たチェッコ映画(題名失念)や、修道院の若い尼僧を描いたポーランド映画なども中世への関心を喚びさましたが、ほんとうは「第七の封印」を見てから、私は中世に惹かれはじめたような気がする。
私はスティ・ダーゲルマンの戯曲を訳したことがあるのだが、スウェーデンの小説や戯曲、ひいては北欧の文学に眼をむけるようになった。そして「処女の泉」(60年)に私は大きな衝撃を受けた。
私が、五木 寛之に早くから惹かれたのも、彼の「北欧」に関心をもったからだったし、ヴィーゲランに心を奪われたのも、私の内部においてはいつもおなじ根から発していた。ベルイマンもそのひとり。私たちのはるか遠くへ投げられているそのまなざしの先に、光はふるえている。
その後もベルイマンの映画はほとんど見てきた。ウディ・アレンが好きなのも、ベルイマン=ウディといったリーニュが私の内部に何か響いているせいかも知れない。
だが、この日、もう一つの驚きが待っていた。
(つづく)