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 メキシコを舞台にした芝居(翻訳劇)を演出したとき、これを見てくれた外国人が感想をのべてくれた。いまでも忘れられない。
 とてもいい芝居だったけれど、女優さんたちがみんな可愛いので困ったね。

 私としては自信のあった舞台だけに、ちょっと動揺した。

 外国の芝居なのだから、舞台にあらわれる女として、日本の女性では肉体的な意味でつりあいがとれない。しかも、表現がまずい。女としての「色気」がない。
 つまり、芸の未熟ということになる。
 さらには、そのまま演出がよくなかったということになる。

 日本の女性と外国の女性の体躯の違いについては、どうしようもない。だから、これはどうすることもできない。当時の私はそう考えた……と思う。
 しかし、現在の女性は、一般的に、身長、体重、栄養状態、からだつき、動作からファッションまで、いちじるしく洗練されてきて、外国の女性にひけをとらない。
 舞台に出て、みごとな姿態を見せている女優さんたちも多い。
 これは女性美というものが、女としてのスポンタネ(生まれついて)の美が、自然にあふれ出すだけにとどまっているからではないだろうか。

 外国の舞台女優がかもし出す、それこそ名状しがたい「色気」、ちょっと表現できないうまさは、日本の舞台女優にはなかなか見られない。
 これは女優のもつフレグランス(香気)としかいいようがない。

 名女優たちの舞台を見てきた。

 たとえば、水谷 八重子(先代)、田村 秋子。
 市川 紅梅、筑波 雪子、森 律子、夏川 静江。

 残念ながら、舞台の岡田 嘉子は見たことがない。私は杉村 春子を映画の名女優と見ている。竹久 千恵子も映画の名女優のひとり。
 ガルボは今でもすばらしいが、ノーマ・シァラー、ジョーン・クロフォード、メエ・ウェストなどは少しも大女優に見えない。かえって、マール・オベロン、ジンジャー・ロジャース程度の女優のほうが輝きを失っていない。

 なぜ、ある女優にそれがあって、別の女優にはそれがないのか。
 私にとっていまだに答えの出ない難問の一つ。

 さらに、この問題は長い年月をかけて、私の内面でさまざまに発展して行った。もし、これが才能の問題とすれば、たとえば、ある芸術家に才能があって、なぜ、私には才能がないのか。