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 島崎 藤村の『夜明け前』の出版の祝賀会は、おそらく昭和11年(1936年)。私は小学生。

 戦後、もの書きになりたての頃、私もよく友人、知人の出版記念会や、いろいろなパーティーに出た。先輩の作家、評論家のお顔を眺めるだけでうれしかった。

 中村 真一郎のはじめての長編『死の影の下に』の出版記念会に、友人の小川 茂久といっしょに出た。このとき、中村 光夫がスピーチをした。これは、かなり手きびしい批判で、中村 真一郎はおもてを伏せて聞いていた。
 中村 光夫はこういったのだった。
 「中村 真一郎君は、この作品を筐底に秘めておくべきだった」と。
 つまり、出版すべきではなかった、という意味になる。『死の影の下に』は、中村 真一郎のデビュー作で、5部作の最初の長編だった。処女作といってもいい。中村 光夫としては、東大仏文の先輩として「どなたもほんたうの事を云って」やらないことにいらだっていた、と見てもよい。
 中村 真一郎は眼を伏せて黙っていた。会場の人々は粛然と静まり返った。いや、私の印象としては、誰の胸にも中村 真一郎に対する同情があって、中村 光夫の発言に対する無言の非難があったと思う。

 私といえども、中村 光夫の批評が徹頭徹尾、不当なものだったとは思わない。

 しかし、この発言は、中村 光夫の批評にひそむ侮蔑、少なくとも後輩に対する底意地のわるいまなざしを感じさせた。その後、私自身が中村 光夫の悪罵を受けたことがあって、中村 光夫に対していつも警戒するようになった。

 やがて、私は知人の出版記念会にもほとんど出なくなった。そういう場所で見てきた「文壇喜劇」に興味がなくなったから。

 おかしなひとを思い出した。『死の影の下に』の初稿はどこかの『近代文学館』に所蔵されている(はずだが、実見したわけではない)。これについても誰も知らない、喜劇があるのだがここには書かない。