「彷書月刊」(7月号)の特集、「坪内祐三のアメリカ文学玉手箱」を読んでいたら、思いがけず私の名が出ていた。
そのころある連載で、この本の訳者である常盤新平は、この文庫本についてこう書いていた。
「学生時代に中田耕治氏に教えられて、私はペイパーバックのシグネット・ブックではじめて読んだ。すごい小説だと思った。それから十五年ほどして、これが映画化されたとき、私は幸運にも翻訳する機会にめぐまれたのである。(後略)
常盤新平の文章は『ニューヨーク紳士録』に出ていたものらしい。
この「本」は、ホレース・マッコイの『彼らは廃馬を撃つ』(角川文庫)である。
戦後、私はアメリカ兵が読み捨てたペイパーバックをやたらに買いあさった。アメリカ文学についてまったく知らなかったので、とにかく何を読んでも、自分がいちばん先に「発見」したような気がした。
『やつらは、廃馬を射殺するじゃないか』というのが、当時、私の頭にあった題名だった。はじめて読んだとき、私はしばらく茫然とした。アメリカの作家で、こんな小説を書くやつがいる! それからは、友人たちにホレース・マッコイを吹聴しては、しきりに読むようにすすめた。柾木 恭介(のちに左翼の映画評論家)も私のすすめで読んだひとり。まだ学生だった常盤 新平にもすすめたのだった。
しばらくして、<NRF>の作家たち、とくにサルトルや、カミュが、私と同じ時期にこの作品を読んでいたことを知った。なんとなく自分の眼がただしかったような気がした。なまいきな文学青年だった。
都筑 道夫はミステリーとSFが専門で、福島 正実はSFを専門に読んでいた。私はミステリーもSFも読んだが、このふたりにかなうはずがない。結果的に、ふたりが読まないものを手あたり次第に読みつづけたことになる。
当時、ホレース・マッコイを読んでいたのは、植草 甚一さんぐらいだった。私は、ホレース・マッコイのほかの作品を探し出して、5冊ばかり読んだと思う。しかし、『彼らは廃馬を撃つ』を読んだときほどの驚きは消えていた。
はじめて読んだときから、いつかこの小説を翻訳したいと思ったが、無名だった私に翻訳できるチャンスはなかった。
ジェーン・フォンダの出た映画は何度も見た。ついでに書いておくと、この映画を見てからジェーンに関心をもつようになった。
この映画の公開をきっかけに常盤新平訳で『彼らは廃馬を撃つ』が出たときはうれしかった。常盤の訳なら私が訳すよりずっといいはずだったから。
ホレース・マッコイは、私の青春の一ページだった。もう一人、私が夢中になったのは、B・トレヴン。彼もすごい作家だった。
評伝『ルイ・ジュヴェ』のなかにこのふたりの名前を書きとめたのも、私なりの思いがあってのことだった。