一茶の文章を読んでいて、こんな話を見つけた。(以下は、私が要約したもの)
下総の国、藤代という里に忠蔵という貧しい百姓がいた。老母とともに暮らしていたが、やがて夫婦に子がめぐまれた。貧しい暮らしなので、子守を雇えるわけでもなく、この女の子は地べたを這いまわりながらそだった。
ことし八つになったが、とういうわけか、この子が「ただならぬ身」となって、九月三日に、あの桃太郎のように、くりくりした男の子を出産した。乳の出がよく、大甕の栓を抜いたように、部屋のムシロの外までほとばしるほどで、百姓夫婦は大よろこび。
近所の人々も、押しかけてきて、まだ「井筒のたけにもたりない」のに、こんなめでたいことは、いまの世にくらべるものもない。永録の昔を眼の前にするような気がする、とはやしたてた。このうわさは、村から村にひろがって、やがて殿様のお耳に達した。
殿様は、この男の子の名前をつけてやろうと仰せになった。
そんなことから、ますます噂はひろまるばかり。見物にくる人はひきもきらず、お祝いに産着を贈るひともあり、五十文、百文の「おひねり」をくれる人も多く、まるで雪が降ったように、部屋のところところに山になっている。
この百姓夫婦は、長年の貧乏暮らしも忘れて、老母を養うことができた。
おそらくは、この老母を救うために、救世観音さまが男の子になってあらわれたまもうたのでもあろうか。このことを思えば、大きな竹の節々を切ると、そこから黄金がこぼれ落ちたという昔の伝説も、けっしてウソではないだろう。
これは、デマではない。市川の月船という男が、昨日、わざわざ現地に行ってみたところ、その娘は少しも恥ずかしがらず、おもちゃのお人形さんでも生んだように、人々に見せていたという。
一茶の文章をできるだけ忠実に書き写した。
殿様は、土屋 治三郎。藤代の百姓、久右衛門方、忠蔵。老母は、かな(57歳)、せがれ、忠蔵は39歳。妻、よの(30歳)、八歳の娘、とや。九月三日生、男子、久太郎。
一茶は、ちゃんと氏名まで記録している。
八歳の女児が出産することがないとはいえないだろう。昨年、ペルーで、たしか七歳の女児が、妊娠、出産したことが報じられていた。
私の関心は別のことにある。
俳人、一茶がこうした「奇瑞」を記録したこと。一茶の生活も、百姓、忠蔵の暮らしむきとそれほど違っていたわけではない。
一茶は「救世観音さまが男の子になってあらわれたまもうた」のでもあろうか、と考える。私は観音さまに対する人々の素朴な信仰心をありがたいものに思うけれど、一茶が、八歳の娘を妊娠させた相手をまったく気にとめていないことに気がつく。
あえていえば、一茶がこうした素朴な民衆の物語に、宗教的な説話以上のものを見たのは、なぜか。
「井筒のたけにもたりない」というのは、紀ノ有常の娘が幼いころ、着物の丈をくらべあった相手の在原 業平と、のちに結ばれることをさす。しかし、「永録の昔を眼の前にする」というのは、私にはわからなかった。どなたかご存じの方がいらしたら教えていただきたいと思う。