私はまとまったかたちで詩を訳したことがない。
ロラン・バルトの短詩を短歌形式でパロディしたり、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ、ファリンゲッティを少し、マリリン・モンローの数編を訳した程度。
詩を訳さない理由は簡単で、私の語感、才能、語学力では訳せないからである。
たとえば、イギリスの春歌を読む。
どれもおもしろいのだが、江戸時代の俳句、川柳ほども理解できない。
思想家、バートランド・ラッセル卿の作とつたえられる春歌がある。
上海そだちの姑娘(クーニャン)は
人目を気にする はずかしがりや
夜は 紙燭を消してから
裙子をぬいで もぐりこむ
天帝さまのご覧になるのが こわいので
私の訳ではせいぜいこんな程度。