「誰も書かなくなっちゃったわ……真劇を。(舞台に)出てくるのは、くだらないギャグばっかり」
バーバラ・スタンウィックのことば。ハリウッド黄金時代の大女優のひとり。
それで思い出した。子どもの頃、私は夏休みは毎日、浅草に遊びに行った。なにしろ、子どもの足で十数分、六区の劇場街に出られる。
まさか、ガキの私が池のほとりにつっ立って、コイにフをちぎってやるはずもない。
当時の少年としてはどこの劇場にもぐり込むだろうか。
剣劇、とくに女剣劇を見物するはずはない。「萬盛座」や「玉木座」、まして「義太夫座」には入ったことがない。それでも「観音劇場」や「花月」にはときどき行った。
エノケンが出ていれば文句なしだが、「笑いの王国」かオペラ館か、「金龍館」、「江川劇場」。祖母につれられて遊びに行くなら、五九郎か五一郎にきまっていた。ただし、芝居の内容はまるでおぼえていない。
五九郎、五一郎は、人気が下り坂になってから合同で芝居をうつようになった。五九郎は、背が低くて、頭から毛が離れていた(つまり、ツルッ禿)が、モテることモテること、劇場(こや)を一歩出たとたんに、粋すじから素人の若い娘やら中年増が、黄色い声をあげて押しあいへしあい。たいへんな艶福家で、常時、二号さんから五号さんまでそろっていた。子どもだってそれぐらいは知っていたのである。
五九郎の舞台には、モトカノの木村 光子、その頃つづいていた若月 孔雀、本妻の妹で、なにやらモヤモヤッとしたウワサの武智 桜子が出ていた。
芝居の内容がよくわからなくても、子どもの私はおかしくて笑いころげた。
「江川劇場」の橘 花枝はよくおぼえていない。木村 時子、桂 静枝などが出ていた。ここのシバヤ(芝居)もバカバカしくって、楽しくって。楽しくってバカバカしかった。それはおぼえている。
今でも喜劇やファルスが好きなのは、こうした芝居を見て育ったからかも知れない。
まだ、日中戦争が起きていなかった頃のこと。