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(つづき)
 昭和初期の世代には、いくつか特徴があるという。
 たとえば、ダンスができない。語学ができない。スポーツが得意ではない。女心の機微がわからない。仕事に熱心でも、機械にヨワい。何かの器具を買っても、かんじんの説明書が読めない。
 私もその典型のひとり。私は機械にヨワい。
 だから、説明書を読むのが面倒くさいのではない。読んでもわからないのである。

 つぎに、7)の「理由もないのに気がふさぐ」。
 私の場合、これはあてはまらない。自分では「北方型」の陰鬱な性格だと思っているが、理由もないのに気がふさぐことはない。いつも、はっきりした理由がある。自分に才能がない、とか、失恋するとか、親しかった知人が亡くなるとか。はっきりいえば、この数年、私の心が晴れたことはない。いつも、暗澹たる思いで生きてきた。
 しかし、そんなぶざまを人さまに見せるわけにはいかない。ならば、いくらでもふざけてやろう。どうせなら、世間を茶にして阿呆陀羅経でも歌ってみよう。

 「そもそも、かかる鬱性の原因は、横隔膜のへこみの中に発生したる体液の刺激に起因するもので、その悪性を有するからして、とどのつまりは、オッサバンズス、ネクエイス、ネクサス、ポタリスム、クイブサ、ミルス、となるわけで。」
 モリエール先生の『にわか医者』、「スガナレル」の台詞。

 理由もなくて気がふさぐなら、こんなセリフでもつぶやくほうがいい。
   (つづく)