614

 (つづき)
 さて、物のしまい場所を思い出せない。
 こんなことは、しょっちゅうある。そのかわり、何かをさがしていて、思いがけず、別のものを見つける。おや、こんなものがここにあったのか。
 これはうれしい。
 自分の書いた作品が見つかったりする。へえ、こんなものを書いていたのか。くだらねえものを書いたなあ。また、そのまま放り込む。
 発表しないまま放り出した生原稿が見つかったりする。読む。げんなりする。燃しちまえ。油絵も焼き捨てた。
 4) 「漢字を忘れる」。ワープロを使うようになって、漢字を変換するようになった。ワープロを使うと漢字を忘れるといわれていたが、さいわい私の場合、それはなかった。そのかわり、字を書く機会がなくなって字がへたになった。
 最近、中国の女性が私の漢字を見てほめてくれた。これはうれしかった。

 「今しようとしていることを忘れる」。これもしょっちゅうなので、自分では気にならない。とにかく、何かをしようとしていたことは忘れないのだから。
 今、少し長い作品を書きはじめているのだが、ルネサンス関係の資料を読みつづけているうちに、それがおもしろくなって、自分が書こうとしているテーマも忘れてしまう。
 気分転換のつもりで、昔の本を読む。こんどはそれに心をうばわれて、ルネサンスなんかどこかに消えてしまう。
 為永 春水の『英對暖語』第一編を読みはじめたらおもしろくて、ついつい全部読んでしまった。自分が何を書こうとしているか、忘れてしまうのだから始末がわるい。
 だから、「物が見つからないと他人のせいにする」ことはない。
     (つづく)