「コージートーク」を書く。
亡くなった亀 忠夫が最後の手紙に書いてきた。
毎日、あれだけのことを書くのは、たいへんなエネルギーですね。
そんなご大層なものじゃないよ、亀君。
毎日、心に浮かぶよしなしごとを、そのときそのときに書きとめる。どれほどのエネルギーが必要だろうか。
あとになって、ほう、あの頃はこんなことを考えていたのか、とか、あい変わらず、くだらねえことを書きやがったなあ、とか、そんなふうに思えるだけでいい。
だから、ほとんど推敲もしない。
はじめから、いい文章を書こうという気もない。推敲したところで、いい文章になるはずもないし。
だが、この「コージートーク」を読んでくれるきみは、わかってくれるかも知れない。
私のかてになるものは、わずかな思い出にすぎない。
それでも、過去はすべて語りつくされたわけではない。
私たちに、現在がある、ときみはいうだろうか。それはそのとおり。しかし、私たちの現在は、それぞれ違った、それぞれに遠くへだたった現在にすぎない。
こんなものを書いているとき、私はかつてないほど、自分がスタンダールや、ルイ・ジュヴェに近いと感じている、と。