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私の朝食。こんがり焼いたパン1枚。焼いている途中でバタをのせる。だからバタがよくしみ込んでいる。好きなのはマーマレード。ゴマのペースト。ほんとうはイングリッシュ・マフィンのようにしたいのだが、うまく焼けない。(バークレーに行ったとき、私ははじめてイングリッシュ・マフィンのおいしさを知ったのだった。)

大森 みち花訳の「記憶のなかの愛」を読んでいたら、後朝(きぬぎぬ)のヒロイン、「グレース」がベッドにトレイを運んでくる。メニューはイングリッシュ・マフィン、コーヒー、スクランブルド・エッグ、ベーコン。
羨ましいシーンだった。愛する女性とはじめてベッドをともにして、イングリッシュ・マフィンとコーヒーを運んでもらう「ニック」に反感をおぼえたくらいである。

ついでにいっておくと、大森 みち花訳は、とてもすばらしい。いままで、私が読んだロマンス小説の訳のなかで、最高の訳といっていい。

朝食にベーコン・エッグ。「フィリップ・マーロー」も自分で焼いていたっけ。
コーヒー。ブラジル、モカ、いろいろなコーヒーを飲んでいたが、けっきょく、インスタントになってしまった。なにしろ面倒なことがいやになっている。
コーヒーは何杯も飲む。オスカー・レヴァントのように。私とはまるで違ったタイプのアーティストだが。

オスカーはコーヒーを飲まないときは酒を飲んでいた。コーヒーや酒を飲んでいるときもタバコを喫っている。食事はとらない。本職はピアニスト。
背が低くて、顔色がどすぐろく、ぶおとこで、ふてくされた顔をしていた。いつもタキシード。あまり、しゃべらない。しかし、ときどき辛辣なことばをボソッという。しかし、他人を傷つけるようなことはけっしていわない。誰からも一目置かれていた。
いつも人生なんてつまらないものだ、という顔をしていたピアニスト。完全な夜行性。ナイトクラブ、パーティー、ときどきコンサート。ときどき映画に出ていた。ある晩、パーティーで酒をのんでいて心臓発作で死んだ。

食後。冬場はミカン、最近はトマト。まるかじり。私の朝食はこれだけ。「記憶のなかの愛」のカップルは、またセックスをする。そのあとでフレンチ・トーストを食べる。
ほんとうに羨ましい。私は、「グレース」のような女性にイングリッシュ・マフィンとコーヒーを運んでもらうような幸運についぞめぐまれなかった。人生なんてつまらないものだ。

「記憶のなかの愛」スーザン・メイアー 大森 みち花訳
ハーレクイン・イマージュ 680円