ボリス・エリツィンが死んだ。(’07/4/23)
旧ソヴィエト解体に大きな役割を演じて、一時はクレムリンの頂点にたった。しかし、その政治家としての顔は、民主的な改革派、強権主義、政治的なポピュリズムなどいろいろで、民主化、資本主義的な市場経済の道をたどった新生ロシアで、功罪あいなかばする足跡を残した。
新聞の記事には、エリツィン氏ほど歴史的評価のむずかしい政治家はいないだろう、とあった。
1991年6月、共産党保守派と軍の一部によるクーデタ未遂事件が起きた。このとき、ソヴィエト連邦大統領だったゴルバチョフは、避暑地で軟禁された。
やがて、ゴルバチョフは無事にモスクワに帰還して、人民会議場で大統領としての演説をしようとした。
ゴルバチョフが一枚の原稿を手にしてにこやかに笑みを浮かべて演壇に立った。ゴルバチョフは、無事に戻ってきたと挨拶して、手にした書類に眼をやって「この報告はまだ読んでいませんが」といった。そのとき、上手にひかえていたエリツィンがつかつかと寄ってきて、語気するどく、
「あんたは、ここで読めばいいんだ!」
と浴びせた。
ゴルバチョフが、一瞬、顔色を変えた。鼻白んだ表情というか、ムッとした顔で、エリツィンを睨み返した。ソ連邦大統領ともあろうものが、ロシア共和国大統領からこんな無礼な指示を受けたことはなかったに違いない。
エリツィンは尊大な表情で、またもや語気するどくおなじことばをくり返した。
さすがに、ゴルバチョフもその場の空気を察したらしく、固い表情に微笑をはりつけて、そのメッセージを読んだ。
この瞬間、ソヴィエト体制が崩れたのだった。
私はこのシーンをテレビで見たが、旧ソヴィエト解体のきっかけになったのは、まさにこの瞬間だったと思う。すごいシーンだった。
私はソヴィエトという巨大な虚構(フィクション)、あるいは幻想(ファラシイ)が地響きをあげて崩壊してゆく音を聴いたような気がした。
この直後に、共産党保守派と軍の一部によるクーデタが起きたが、エリツィンは戦車のうえに立って民衆に抵抗を呼びかけた。このシーンもテレビで見たが、これにはあまり心を動かされなかった。
エリツィンは、ゴルバチョフの運命について回想している。
「このクーデタが成功していたら、コルバチョフは、廃帝ニコライや、失脚したフルシチョフとおなじ運命をたどっていただろう」と。
つまり、ゴルバチョフを銃殺しなかったのは、自分の庇護があったからだった、ということになる。エリツィンの傲慢な姿勢、政敵や同輩の生殺与奪までにぎろうとした非情な表情が透けて見える。
エリツィンの葬儀の模様をテレビで見た。(’07/4/26)途中で、故郷のスヴェルドロフスクからモスクワに向かう日のエリツィンの姿が出てきた。
アマチュアの撮影だろうか。ほんの数分の映像。ちいさなアパートの一室。大きなからだのエリツィンが、長椅子に腰かけている。服を新調したらしく、表情もわかわかしい。まったく「非情」な印象はない。やおら身をかがめて、長椅子の下から小さなバッグを出し、無造作にかかえて狭い部屋から出てゆく。まったく無音で。
つぎのカットは、外に出たエリツィンが、街角に駐車している車まで歩いて行く。ロシアの地方都市だが、人通りもなく、車も走っていない。エリツィンの大きな背中が遠くなって、黒く写っているだけ。サイレント映画のように。
共産党の中央委員に選出されて、モスクワに向かうエリツィン。
このとき、自分が世界史に残るような運命を担っているとは考えもしなかったに違いない。
エリツィンの尊大な表情と、動揺したゴルバチョフが、一瞬、顔色を変えたのは、自分の生殺与奪が誰の手にあるのか察知したからではなかったか。あのシーンは、私がテレビで見たもっとも忘れられないシーンのひとつ。それに、このスヴェルドロフスクのシーンが重なってきた。
エリツィン氏ほど歴史的評価のむずかしい政治家はいないだろう、てか。笑わせる。