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大学の近くにそば屋があった。
学生時代、敗戦直後は食糧の配給券をもって通ったが、そばが1ぱい17円だった。そばを食う金を倹約して、アメリカ兵の読み捨てたポケットブックを買うことにしていた。1冊20円。だから、そばも食えなかった。
大学で講義をするようになって、たまに立ち寄ることがあった。店の様子は変わったが、もともと、たいしてうまいそばを出す店でもない。

大学で講義を続けたが、講義のあとは、いつも友人の小川 茂久といっしょだった。小川はフランス語の教授で、斗酒なお辞せずという酒豪だった。行き先はいつもきまっていて、「あくね」という酒場か「夕月」という居酒屋だった。

お互いに忙しくて時間があわないときがある。
そういうときは、おなじ神田の裏通りのそば屋にきめていた。火鉢形に細長く切った囲炉裏の前に箱膳を据えて、とっちりこと腰を下ろして、サカナはほんの少しの塩けがあればよし、手酌で二合、一口飲んでは舌鼓。浮世の何を思うでもなく、用がなければ何を言うでもなく、箸休めをしてはまた一口、チビリチビリとまた一口、二銚子ばかりを小一刻、そばをツルツル半時間、ほろ酔い機嫌で外に出る。

これが、小川 茂久といっしょの十年一日の紋切り型。小川は、佐藤 正彰先生、斉藤 磯雄先生などにつかえて明治の仏文科をささえつづけた。中村 真一郎氏と親交があった。私より2歳上。少年時代から大人(たいじん)の風格あり、酒に弱い私につきあってくれたものだった。

私が16歳のときに会って、50有余年親しくした友人だった。