578

坂口 安吾は「風博士」で認められた。つづいて「村のひと騒ぎ」(昭和7年10月)を発表する。(彼の初期の作品としてはあまり高く評価されていない。)
当時、新進作家として高い評価を受けていた竜胆寺 雄は、翌日、坂口安吾を取り上げて批評している。

物語の中の主人公たちが脱線するのは、いくら脱線してもいい。作者がかうハメをはづして脱線したんでは仕方がない。作者が一人でドタンバタンと百面相騒ぎをして、ひとを笑はさうとしているのは第一下品である。いい素質をもったこの作家は迷路を彷徨しているもののやうだ。何しろこれでは青クサくて下手な落語にも及ばぬ。

たしかに坂口安吾は、その後「迷路を彷徨して」いたが、戦後、「白痴」でそれまでとまったく違った姿を見せて登場する。一方、竜胆寺 雄のほうも、戦前すでに文壇から去って(本人は抹殺されたと思っていたらしい)、それこそ迷路を彷徨していた。戦後は、『不死鳥』などで復活をはかったが果たさず、サボテンの研究家になった。
私は、竜胆寺 雄の『アパアトの女たちと僕と』は昭和初期を代表する作品だと思っている。
この二人の文学的な軌跡にさえ、戦前の作家の不幸な運命を見るような思いがある。
同時代の批評は、後世の眼から見ると、ずいぶんおかしなところがある。しかし、そうした批評上のバイアスがじつにおもしろい。おなじ時代に生きている息吹のような物が感じられるからだろう。竜胆寺 雄は、『村のひと騒ぎ』を散々ケナした挙句、最後になってわずか一行、付け加えている。

因みに、――この作品の骨子と構想とは大変に面白かった。

私は、こう書いたときの竜胆寺 雄の表情を想像するのである。