その事件は、昭和17年(1942年)1月、奄美で起きた。当時、旧制中学4年だった少年が、最近になって書いている。
(前略)私が目にし、そして記憶にとどめているのは昭和十七年正月明け早々のことである。旧制中学四年の冬休みのことである。突然、防空演習が行われた。その前年の十六年十二月八日に大東亜戦争(真珠湾攻撃)が始まっているから、その時防空演習が行われるのも不自然ではない。しかし、それは、要塞司令部の参謀の指導の下に、実は防空演習に名を借りたカトリック教の隠れ信者と黙された人々いじめだったことは明らかだと思われる。
(中略)演習に参加した人々も所どころに集まっていたが、目標にされた建物は、それは防空演習の跡というよりは、どうしても火災現場を想像させる感じのものだった。私たちの学級にもクリスチャンと思われる者がいたが、皆同様に接していた。しかしその時以来姿を見せず、一人は家族で本土に引き揚げて行き、一人は何処かに転校したらしかった。
奄美では、昭和七、八年頃から、要塞司令部の参謀を中心に街の一部の人たちがいっしょになってカトリック排撃運動が起こっていたという。その結果、外人神父は島外に追放され、教会の所有はすべて没収、信者は改宗を強要されたらしい。
ほんとうに小さな事件だが、戦時中の軍国主義者の狂気じみた行動を、いくらかでも知っている世代の私としては遠藤 周作に教えてやりたかったと思う。
それよりも、私としては、この参謀たち(昭和7、8年当時の参謀と、その後に歴任した参謀たち)、とくに昭和17年に在任していた参謀たちのその後を知りたいと思う。
奄美が要塞地帯だったから、沖縄の地上戦に参加した人もいたかも知れないが、戦後まで生きていたとすれば、どう生きたのか。
この少年は、奄美在住の詩人、進 一男である。最近の彼は全詩集をまとめて出しているが、奄美のカトリック排撃の動きについて、はじめて書いている。
遠藤 周作が生きていたら、どんな思いで読んだろうか。
(注)進 一男著「続続 進 一男全詩集」(沖積舎/’07年2月刊 9000円)