近くの古本屋が廃業するというので、日頃は読みそうもない本を買い込んだ。暇があったら読んでみようと思って。
たとえば、書棚の片隅にころがっていた一冊の本。
「東西感動美談集」(講談社/非売品/昭和3年)。800ページ。
昭和2年(1927年)、芥川 龍之介が自殺した。この年、金融恐慌がはじまっている。この本が出た昭和3年、特高警察が設置された。戦前の、もっともいまわしい凶悪な言論統制がはじまる。
この本は800ページの大冊なのに非売品だった。円本ブームに参加しなかった講談社が雑誌のキャンペーンでバラまかれたからだろう。
執筆者と内容をざっと見て買ったのだが、100円。いまどき、こんな本を読む人はいないだろう。これまで買い手のつかなかった本だったらしく、古本屋のおニイチャンが50円にまけてくれた。
帰宅して、804ページ、3時間で読んだ。文学的にはほとんどとるに足りない。いや、まったく得るところがなかった。昭和初年の読者はこうした通俗読物、ないしは通俗的な伝記ものに感動したのだろうか。
大正3年、青島(チンタオ)攻撃に倒れた歩兵下士官の実話。熊谷次郎直実の馬を世話した忠僕。児玉源太郎(陸軍大将)とヤクザの話。姫路の町大工の悲劇、といった実話がならんでいる。そのなかに、オーストリア軍を迎撃したナポレオン麾下の一将校が、山峡の古塔をわずかな守兵をひきいて死守し、最後まで戦ったドーベルヌ。清国の弓師の子、燕揚が身をもって父を助けた美談など、53本がぎっしりつまっている。
執筆者もほとんど私の知らない人ばかり。しかし、よく見ると沢田 謙、池田 宣政(南 洋一郎)、安倍 季雄、野村 愛正などが書いている。少年時代に、私はこの人たちの本を読んだものだった。
さして意外というほどではなかったが、執筆者のなかに、後年、左翼作家として知られた間宮 茂輔、詩人の岡本 潤、流行作家になった尾崎 士郎などの名があった。この人たちは無名ではないにしても、まだ、有名とはいえなかったに違いない。
菊地 寛が最後になって登場する。「名君物語」と題して、将軍吉宗の行状を描いている。後年の作家が、読み物として、日本人の逸話や美談を書きつづけたことを私たちは知っている。してみれば、彼の、もっとも早い時期の作品だろうか。この菊地 寛を読んで私がさまざまな感慨を催したとしても当然だろう。
あくまで私の推測だが、菊地 寛はこの本の企画に深くかかわっていたのではないだろうか。苦労人だった彼は、貧乏作家たちを救済しようとして、執筆者たちに稼ぐ機会をあたえてやったのではないか。
菊地 寛が「劇作家協会」、「小説家協会」を作ったのは、大正9年(1920年)、無名ではないにしても、まだ未知数の存在だった人たちは、その後、関東大震災、大不況の影響をうけたはずである。やがて、大正15年、(1926年)、「劇作家協会」、「小説家協会」が合併して「文芸家協会」が発足する。
この本の口絵は、荒木 十畝。挿絵画家は30名。そのなかに伊藤 幾久造、斉藤 五百枝、樺島 勝一の名があるのは当然だが、名取 春仙、山川 秀峰、五姓田 芳柳、神保 朋世などが描いている。これにも感慨を催した。
この本が出版されたとき、私は1歳。むろん、こんな本が出ていたことを知らない。
少し前の私なら、まったく手にすることもなかったに違いない。
この本を読んでいるうちに、いつしか戦争に向かって歩みはじめている昭和という時代の足音がかすかに聞こえてくるようだった。