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私がホレース・マッコイをはじめて読んだのは1946年の冬だったと思う。
アメリカ文学は、私にとってはテラ・インコグニタ(未知の大地)だった。

これも私にとっては未知の作家だったが、やがてヘミングウェイという作家に出会って、『キリマンジャロの雪』を訳した。当時、私は芝居に関係しはじめていたので、俳優の訓練のためのテキストとして使った。これが、私のはじめての翻訳になった。
とにかく、手あたり次第にいろいろな作家を読みはじめていた。なにしろ、それまで読んだことのない作家ばかりだったから、毎日、新しい「発見」をしていたような気がする。むろん、こっちが知らなかっただけのことだが。

そんなことから、別の人のことを思い出した。

戦後すぐの昭和20年(1945年)から21年冬にかけて、日本の山村を訪れたアメリカ人ジャーナリストがいた。敗戦直後、日本の国内情勢が混乱をきわめていた時期で、一ジャーナリストが来日したことなど、誰の記憶にも残っていないだろう。
ただ、私としては、この俊敏なジャーナリストの眼に何が映っていたのか、知りたいと思ってきた。
この人は、東京を中心に、関東、中部を熱心に歩きまわったらしい。
栃木、那須の、ある村を訪れたとき、たまたま雪が降ってきた。淡雪だったらしく、すぐに溶けてしまった。
彼が出発するときに、宿の主人が宿帳か何かを出して、記念に署名をもとめた。
そのアメリカ人は、思いがけないことでとまどったのかも知れない。しかし、こころよく応じて、「それでは日本の歌を書きましょう」といって、二行詩らしいものを書きつけた。むろん、英語である。

The Snow Came To The Garden
But Not For Long
このアメリカ人ジャーナリストは、エドガー・スノウ。

この俳句を訳すのは、至難のわざである。しいて意訳をすれば、

淡雪の庭に降りては消えにけり
いまし降る雪のつづかぬ庭にして
降りながら庭に小雪のとどまらず

ぐらいだろうか。しかし、前の訳では Not For Long が生きていない。あとの訳では、理が勝ちすぎるだろう。
参考に、いくつか雪の句をひろって見よう。

雪降るや 小鳥がさつく竹の奥     多代
初雪や 松のしずくに残りけり     千代
草の戸や 雪ちらちらと夕けぶり    よし女
雪ふんで 山守の子の来たりけり    なみ
雪ひと日 祝いごとある出入りかな   はぎ女

どの句も気韻において、私の訳などのおよぶところではない。
もう一つ、疑問が出てくる。スノウは日本の誰かの句を思い出して書いたのだろうか。では、誰の? これがまた見当もつかない。
スノウ自身の句と考えてもいい。日本にくる前に、俳句まで眼を通していたに違いない。

スノウは日本を去った直後、半年にわたってソヴィエトに滞在して、ルポルタージュを書いた。これは「サタデイ・イヴニング・ポスト」に発表されたが、当時、敗戦国の人民が読む可能性は絶無だったはずである。まして、18歳の私が知るはずもなかった。
スノウは、このルポルタージュを書いたために、アメリカでは左翼として攻撃されたが、皮肉なことに、当時のソヴィエトは、スノウを悪質な反共主義者として入国を禁止している。

私はスノウの著作をまったく知らない。しかし、敗戦直後に日本の田舎の宿屋に泊まって、俳句を書いたスノウになぜか親しみをおぼえる。
この句には、敗戦にうちひしがれている日本人を思いやる気もちが含まれているような気がする。あるいは、ジャーナリストとして日本の運命を見ていたような気がする。