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「雨の国の王者」さん

ホレース・マッコイについて、きみがメールをくれた。

先日、『彼らは廃馬を撃つ』を再読して、その訳者(常盤新平)あとがき(角川文庫版)に、「……この『彼らは廃馬を撃つ』を私に教えてくれたのは、中田耕治氏である。もう十五年も前のことだ。……」
この傑作『彼らは廃馬を撃つ』を再読して、これは、よい、と唸ったあとに、その、あとがきに、中田耕治氏の名前を見つけて、やあなんだか、ちょっと、うれしくなりました。
それは、ほんのちょっとのことなんですけれども。
(計算すると、それは、五十五年前のことなのですね。)

またしても思いがけないメールで、はるかな「過去」を思い出した。
じつは、ホレース・マッコイの存在を知ったのは、(「コージートーク」で書いたように)神保町の露天の古本屋だった。ゴザの上に積みあげてあるポケットブックをゴソゴソヒックリ返して、見つけた一冊。私の語学力でも、なんとか読めそうな気がしたからだった。
その直後に、植草 甚一さんがある雑誌で紹介なさった。私は、植草さんに先を越されたと思った。そのときから、私はホレース・マッコイの全作品を読みつづけてきた。
ホレース・マッコイは、しょせん三流作家に過ぎない。当時のベストセラー作家たち、ハロルド・ロビンス、レオン・ユリスのようなおもしろい小説が書ける作家ではなかった。そして、ドナルド・ヘンダスン・クラーク、オグデン・ステュワートのように、いつも読者にウケる作品しか書かない作家でもなかった。
しかし、彼の『彼らは廃馬を撃つ』は暗い輝きを失わない。私はそういう作家に、いつも関心をもってきたのだ。
たとえば、デューナ・バーンズ、アナイス・ニン。たとえば、B・トレヴン。

いつかぜひ翻訳しようと思っていたが、機会がないまま過ぎてしまった。やがて、常盤 新平が訳したと知って私はよろこんだ。常盤君が訳したのなら、作家にとっても幸運だったと思う。
(私が書くべきことではないが、常盤 新平の『遠いアメリカ』をお読みになれば、この頃の私のことがおわかりになるはずである。)

これもご存じのはずだが、『彼らは廃馬を撃つ』はジェーン・フォンダの主演で映画化されている。私がこの女優に関心をもちつづけてきたのも、ホレース・マッコイへの関心から派生したものだった。
(「私のアメリカン・ブルース」、「映画の小さな学校」)

まだ、ポケットブックもろくに買えない頃、サローヤン、ハメット、ヘミングウェイにつづけて、私が読みつづけた作家がホレース・マッコイなのである。
文学、人生、社会について何も知らなかった私が、ようやく自分の内部に測鉛をおろして、まったくあたらしいものを発見させてくれた作家のひとり。
(つづく)