彼女が自殺した(06/2/10)。26歳。
今年になって、女性シンガーのユニが自殺しているので、韓国の芸能界にとってはいたましい出来事が続いたことになる。
チョン・ダビンが死を選ばなければならなかった理由は知らない。
戦後、『文学座』から舞台女優として出発した女優がいた。登場したときから、『戦後』に登場したもっとも才能のある舞台女優として期待された。実際、美貌だったし、演技もすばらしいもので、たちまち注目を浴びた。
だが、いくつかの舞台に出ただけで、彼女は自殺した。
堀 阿佐子。もう誰もおぼえてはいないだろう。
彼女が自殺した直後にある集まりがあって、劇作家の内村 直也さんが、ある有名な女優に、
「堀 阿佐子は惜しいことをしましたね」
と声をかけた。その女優はちらっと内村さんを見つめたが、唇をゆがめて何もいわなかった。
私はたまたますぐ近くにいたのでこのときのことをよくおぼえている。この女優が、どうして唇をゆがめたのかわからない。何をいいたかったのか。あるいは、何をいいたくなかったのか。しかし、その女優の表情には何か冷酷なものがひそんでいた。
堀 阿佐子や、チョン・ダビンの死の背後にひそむもの、あるいは原因を探る必要はない。
ただ、彼女たちの死から、私は今までずっと一つの確信を持ち続けてきたと思う。
女優には、いつか必ず何らかの障害を克服しなければならなくなる時期がくる。とくに『娘役』(ジュンヌ・プルミェール)として出発した女優の場合、これはしばしば危機的な障害を引き起こす原因になる。だが、どんなに大きな障害であっても、死を代償とするほどの価値はない。
人にはそれぞれの人生観がある。そして、誰も自分の人生観を他人に押しつけることはできない。それを承知の上で、いっておきたい。
自分が美貌だから女優になれるだろうとか、ほかにすることもないので舞台に立ってやろう、といった女の子たちは別として、女優として地道に勉強をつづけている若くて美しい女性に、考えてほしいことがある。君は、若くて美しいことにだけ責任を持てばいい。
そのかわり、どんなに苦しいことがあっても、死ぬに値するほどのものはない、と覚悟すること。
死ぬな。