つい最近、ある歴史家が書いていた。
うがい(嗽、含嗽)が広まったのは、明治初年からという。なんでもない記述だし、歴史家の書いていることなので誰でも信じるだろう。うっかりすると、私たち日本人の生活にはうがいの習慣がなかった、ということになる。
そこまではいいとして、よろしくないのは、明治新政府の成立から、日本人がにわかにヨーロッパの文明開化を受け入れて、石鹸で顔を洗ったり、ガラガラうがいを始めたと思われること。
私としては、歴史家にまことしやかなことをいわれると、ついムカつく。冗談じゃない。
天明期の雑俳、『武玉川』(二編)に、
うがひに手間の とれる浪人
という付け句が出ている。
平がな書きだが、まさか「鵜飼」ではないだろう。朝起きて口をそそぐくらいのことは、明治になってからの流行ではない。おてんとさまを仰いでガラガラやるくらいのことは長屋住まいの素町人だってやっていた。
ついでに書いておくと、石鹸だって、さまでめずらしいものではなかった。
しゃぼんの玉の門を出て行(く)
という句もある。(おなじく『武玉川』二編)
子どもがしゃぼん玉を吹いて遊んでいる。そのしゃぼん玉が、風に吹かれて門を出て行ったという景色。
歴史の記述は、その時代に生きた人々に寄り添ったものでなければいけないだろう。
永井 荷風は歯磨きに「コルゲート」を使っていた。当時としてはめずらしいハイカラぶりである。コカコーラは、敗戦後に日本人が飲むようになったと誰でも思っているが、じつは芥川 龍之介が飲んでいた。いずれも本人が書いているのだから間違いはない。
歴史家がよく調べずに、さも自分が「新発見」したような顔をして、いいかげんなことを書く。世間の人がそれをあっさり信じてしまう。ムカつく。