中原さんという方から、思いがけない質問をいただいた。
中田耕治の「日本海軍の秘密」(昭和47年)は単行本に収録されているかどうか。
残念ながら、本になっていない。今後も本になることはないだろう、とお答えしておく。
明治の日本が戦備の拡張のためにイギリスの造船所に発注した戦艦が、日本に向けて回航中に、南シナ海で忽然と姿を消した。これは、実話だが、この事件を日本側が調査したとき、ひそかにイギリスから初老の人品いやしからざる老人が来日して、事件の解決に当たった。その老人こそ、誰あろう、シャーロック・ホームズその人であった、というまことに荒唐無稽なストーリーである。担当の編集者は北原 清君だった。
私のようにしがない作家の場合、既発表の作品をあつめて一冊の短編集を作る機会は少ない。そのときそのときに注文があって書くだけで、一度発表してしまえば、あとはたいてい忘れてしまう。今頃になって「日本海軍の秘密」を探している奇特な読者がいると知って私のほうが驚いている。
この作品の主人公は、海軍中尉、「桜木三郎」という。若年ながら有能な「桜木中尉」は、「ホームズ」と協力して事件の捜査に当たる。これも私のいたずらで、若い友人の、当時、「少年ジャンプ」の編集者だった桜木 三郎君の名前を拝借した。桜木君は大学で私のクラスにいたが、後に美しい女性と結婚することになって、私が媒酌をつとめた間柄だった。
彼は「週刊大衆」の北原君とも親しかったので、この原稿を手にした北原君も私のいたずらにすぐ気がついて、ニヤニヤした。なつかしい思い出である。
はるか後年、日本作家による「シャーロック・ホームズ」もののアンソロジーが河出書房から出たが、これにも収録されていない。このときの編集者は飯田 貴士君だったが、あとで私がそんな短編を書いていると知って、とても残念がっていた。
日本の作家が書いた「シャーロック・ホームズ」ものとしては、おそらくもっともはやいものだろう、と思う。
飯田 貴士も、桜木 三郎もすでにこの世の人ではなくなっている。晩年の桜木君は最後まで、私の『ルイ・ジュヴェ』を出そうと努力してくれた。私の内面には、なつかしい思い出と、ありがたさがこんな短編ひとつに重なっている。