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ジュディ・バドニッツという作家は、現在、もっとも不思議な作家の一人。

ストーリーは千変万化。一作ごとに、内容はもとより語り口、ひいては想像の性質までが変化する。こういう作品を読まされる読者は、驚きながら笑い出すだろう。その笑いは、ただおかしいから笑うのではない。こんなバカなことがあるはずはない、という疑いと、いや、いわれてみれば、そうなんだなあ、というへんな安堵感が交錯して、とりあえず笑ってしまえ、という感じだ。だが、その笑いには、なぜかうそ寒いものが響く。作家は、私たちを笑っているのではないだろうか。そんな気がしてくる。
しかし、そうではないかも知れない。もしかすると私たちは、この小説を読んで、自分の内面にきざしはじめる、いいようのない恐怖や戦慄をごまかそうとして笑うのではないだろうか。
ここまできて、きみは気がつく。この笑いは、自分を笑うように作家が仕向けていることに。

この作家を不思議な作家というのは、私なりにいうと、マジック・ファラシイ Magic Fallacyの文学だからなのだ。以前は、よく「奇妙な味」とか幻想小説といったいいかたで、こういう作品をくくろうとしたものだが、そんな概念でくくれるものではない。いっそ「妄想小説」といってもいいのだが、作家は妄想をたくましくしているわけではない。
この作家にとって、すべてが自然なのだ。だからこそ、私たちは、ときに笑いながら、戦慄するのだろう。

なんといっても岸本 佐知子の訳がすばらしい。