井月。
ほとんど知られていない俳人。文政5年(1822年)、長岡に生まれた。それ以外、出自、係累、事跡などは不明。放浪、漂泊の人生を送った。
作風はおだやかで、さしてすぐれた句とも見えないが、私はこの俳人に幕末の庶民の心情を思う。
子どもらが寒うしてゆく炬燵かな
私の部屋の窓から学校に通う子どもたちの姿が見える。それを見ながら、井月の句を思いうかべる。
行きくれし越路(こしじ)や ほだの遠明り
漂泊のさびしみが感じられる。越路は、越後の道をさすが、おのれの過ぎこしの人生も重なっていよう。
春寒し 雨にまじりて何か降る
だが、春になれば、
のどかさや 鳥の影さす東まど
鯉はねて眼のさめにけり春の雨
箒目の少しは見えて 別れ霜
さらには、
どこやらに鶴の声聞く霞かな
見るものの霞まぬはなし 野の日和
春風に まつ間ほどなき白帆かな
という風景がひろがる。