原 敬(はら たかし/1856~1921)の日記。
近頃財政甚だ悪し、両三日前客ありて鰻を馳走せしに其価八十銭余なり、最初は通帳にて払ふ積(つもり)なるに、鰻屋は本月限り現金にて受取たしと云ふ、然るに銭なし、五度まで取りに来れり、巳むを得ず友人より借りて払ひたり、貧乏は常の事にて記載せし事なけれども、フト思ふことありて記せり、呵々。
当時、原 敬は、パリの公使館の勤務を終えて、農商務省参事官になったが、外相、大隈 重信が狙撃される事件が起こって、黒田内閣が倒れ、山県 有朋の内閣が成立(第一次)したとき、農商務省の秘書官になった。
その頃、80銭のウナギの代金が払えなかったのだから、たいへん貧乏だったらしい。
原 敬ら平民宰相と呼ばれた政治家だった。1921年、東京駅で暗殺された。これは大正デモクラシーの終焉でもあった。
私も「貧乏は常の事にて記載せし事なけれども」ことのついでに書きとめておく。「フト思ふことありて」書いたわけではない。呵々。