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江戸の道楽者が、朝湯に入る。そういう道楽者が例外なしに、お女郎や芸者にもてる。そういう世話講談を聞いていると、羨ましくってたまらなくなる。
堅気の商家では、朝湯に入るのは、堕落の第一歩ぐらいに思っていた。小原庄助さんの例もある。小島政二郎の祖父は、朝湯に入るとからだがナマになって、怠けものになる、といましめていたという。ところが、小島政二郎はさっそく朝湯を実行してみる。最初のうちは、からだがだるくなって、何をするのもイヤになった。ところがなれてくると、朝飯がおいしい。これで一日の仕事がはじまる、という爽快な気分になった。
こういうオッチョコチョイなところが、じつは、世態人情に向ける眼を養った。彼の作品にひそんでいる実際性、プラグマティックな性質、世間の常識に背をむける意地っぱりな姿勢が流行作家として成功した遠因だろう。