キ-ス・ジャレット。
「ぼくはピアノとともに育って、人間のことばとピアノの言葉を同時におぼえた」という。そういえば、一度だけ、キ-スについて書いたことがある。
キ-スの評伝を読んでいて、こんな記述にぶつかった。
ジャレットは何かひとつのことを探究しはじめると、いつも100%のめり込んでしまう。全面的に本格的な行動を開始する。彼の関心の所在をあきらかにできるまでには、いつも何年もかかってしまう。
おまけに、そこまで行くためには、一つの面に集中してしまうので、ほかのことはなおざりにしてしまう。こうして彼の活動のありかたが、そのつど変化するので、多くの批評家たちを混乱させる結果をまねいた。
私はキ-スのような天才ではない。だから、キ-スに自分をなぞらえることは出来ないが――どこか似たところがある。
何かひとつのことに関心をもつと、ひたすらのめり込んでしまう。ここ数年、江戸の遊女から明治、さらには戦後の娼婦のことを熱心に調べてきた。本格的に勉強をはじめたわけではない。ルネサンスの王女で、当時、最高級の娼婦だった女性について書こうと思っているうちに、そこまで関心がひろがってきただけなのだが。
ルネサンスの王女については、なんとか書けそうな気がしはじめたのだが、ここまでくるあいだ、一つの主題に集中したため、ほかの仕事がなおざりになってしまった。
けっきょく、まだ何も書かない。書くチャンスがないから書かないだけのことだ。
これから、私がどう変化したところで、批評家たちが混乱する気づかいはない。だいいち変化しようにも何ももうどうしようもない。批評家の私がいうのだから間違いはない。