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自分史を書く。それが本になる。
自分がどういう人生を過ごしてきたのか、ふり返ってみることも必要かも知れない。
とすれば自分史を書くのはいいことだ。誰でも1冊は書けるはずだから。

自分史もまた文学作品なのだ。文学的にまったく無価値であっても、なおかつ、まぎれもなく文学と見るべきだろう。

本が読まれなくなっている。
最近の、読書に関する調査(「読売」06.10.30)では、この1か月に1冊も本を読まなかった人は、49パ-セントという。去年の調査より、3パ-セント減っている。
この数字は、過去10年、だいたいおなじレベルを推移している。
年代別では、20代で、本を読まなかった人は、48パ-セント。去年の調査より、7パ-セントも高くなっている。若者の「本離れ」という。いいねえ。もともとこの世代の連中、本を読みそうな顔をしていない。本を読む学力もないのだから。

中高年では、50代、60代で、「読まなかった」がそれぞれ49パ-セント。つまり、「団塊の世代」と呼ばれる連中が、平均して本を読まないことがわかる。これもいいことだね。はじめから何も考えない連中だから。
ただ、50代では、前年比、9パ-セント。60代で、10パ-セントが、本を読むようになっている。少しは余裕が出てきたということか。

本が読まれるといっても、脳を活性化するというハウ・ツ-本や、「団塊の世代」関連本が読まれているだけで、まともな本が読まれているわけではない。

私は日本人の本離れを心配しているか。
まったく心配していない。旧文部省の国語教育の結果が、こういう数字になってあらわれただけのことだ。
もの書きとして、自分の作品や翻訳が読まれないのは、少しだけ残念だが、私の書くものなど読まれなくても仕方がない。

いろいろな人が自分史を書く。だれも読まない本ができる。
しかし、誰かが読んでくれるかも知れない。他人がどういう人生を過ごしてきたのか、その本を読むことで自分の人生とひき較べてみるのも楽しいかも知れない。
とすれば自分史を書くのはいいことではないか。