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初等/中等教育に、いろいろ問題が出てきて、「教育基本法」なるものが成立した。

私は、ごく狭い分野で教育にかかわってきただけだが、教育の基本は「読み、書き、そろばん」にあると考える。まさか、江戸時代に逆行するような考えと見る人はいないだろうが・・・まず、国語教育を徹底的に行うこと。国語ができる子どもは、かならず英語その他の外国語にも習熟する。
小学校で英語を必修科にすることに私は反対する。

作文教育を、まず、徹底的に行うこと。ただし、かつての作文指導のようなものではなく、時候の挨拶、慶弔の文章まで、候文から、恋文まで、いくらでも教える材料はある。
日本語の美しさを教えること。

入学試験に、太宰 治の『走れメロス』がとりあげられて、その文章を細切れにして、子どもに判断させる文例を見たことがある。怒りをおぼえた。
その「問題」では、たとえば作中人物の心理、性格、事件の内容に関して、いくつかの例をあげて、子どもに判断させる。そういうやりかたはただちに廃止すべきである。
文学作品は、誰がどう読んでもいいのだ。いくつかの選択肢をあげて、その一つに正解がある、などとする文部官僚は、文学の敵なのだ。
それよりも、太宰 治の教科書に出ている作品を、生徒に声に出して読ませる。さらに、太宰 治のほかの作品を教師自身が読み聞かせる。
そのほうがずっと国語力が身につく。

そろばんを復活せよ、とまではいわない。しかし、算数の暗算能力を高めることは、高学年になってからの思考力、想像力、論理力を発展させる。

小学校から知識を集中的にたたき込む。

初等/中等教育にレッセ・フェ-ルはないのだ。「学校群」から「ゆとり教育」まで、文部官僚はひたすら初等/中等教育の衰微、劣化に力をつくしてきたではないか。
彼らの責任は大きい。

「教育基本法」よりも、まず現場の教師たちの意識をかえる必要がある。