芥川 龍之介は『侏懦の言葉』のなかで、
俳優や歌手の幸福は彼等の作品ののこらぬことである--と思うこともない訳ではない。
という。
たしかに、俳優や歌手の幸福は彼等の作品が残らないことだが、それは私たちの「現在」にとって不幸なことなのだ。
しかし、百年前の一流歌手のレコードは、かなり残っているし、どうかすると俳優の舞台さえ実写や活動写真で見ることができる。今ならビデオ、DVD、PCで見ることもできよう。
そして、「現在」の眼には、しばしば滑稽に見えたりする。
芥川 龍之介はいう。(「澄江堂雑記」)
時々私は廿年後、或は五十年後、或は更に百年後、私の存在さえ知らない時代が来るという事を想像する。
しかし、これから20年後、半世紀後、百年後でも芥川 龍之介は読まれるだろう。たとえ一部の人でしかないにしても。彼は、落莫たる百代の後に当って、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を、と書いた。逆説的に、彼の自負、あるいは自恃のつよさを見ていい。
本所でそだった芥川 龍之介に、私はひそかな共感をもっているのだが、しがないもの書きなので、20年後、半世紀後、百年後どころか、現在でさえ私の作品を読む読者がいるかどうか。ごくわずかな人が、このHPを読んでくれるだけでありがたいと思っている。
もっとも百年後に私の文章を読む人がいたら--何が書いてあるのかさえわからないだろう。(笑)