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最近になって、ご近所の人から声をかけられる。ほとんどが、私と同年輩の老人ばかり。これまでは、かるく頭をさげるだけか、「おはようございます」とか「お出かけですか」といった挨拶をする程度だった。

「よく、町中を歩いていらっしゃるのをお見かけしますよ」
「それはどうも。ほかに楽しみもないものですから」
「姿勢がいいんで感心しているんですよ」
私はにやりとする。

ある日、映画の試写の帰り、階段を降りはじめて、いきなり声が降ってきた。
「君の歩きかたは変わらないねえ」
追いついてきた作家がいった。私よりずっと先輩の中村 真一郎だった。

中村さんは戦後すぐに私の友人の椎野 英之の家に移った。当時、大森に住んでいた私もその頃に知りあっている。中村 真一郎がまだ独身だった頃である。
だから、映画の試写のあとで私を見かけて中村 真一郎が声をかけてきても不思議ではない。
歩きかたが変わらないといわれても、返事のしようがない。それに、相手が作家なので、何か書かれると困る。うっかりした返事はできない。
階段を降りながらその映画のことを話した。別れぎわに彼がいった。
「映画監督の歩きかたも変わらないもんだねえ」

いろいろな作家の歩きかたがある。
ある日、舟橋 聖一が小林 秀雄といっしょに銀座を歩く。舟橋 聖一は歩きながらブティックを見たり、通りすがりの若い女の服装や肢体、歩きかたを見て、一瞬でその「女」の生態まで見届ける。
ふと気がつくと、小林 秀雄はずっと前方を歩いている。

「あいつの歩きかたは学生のときから変わらないんだよ」

舟橋 聖一から直接聞いた話。
蔵の中、茶室仕立ての小部屋で、大きな黒檀の机。小屏風。ただ一字、志賀 直哉が揮毫したみごとな書が置かれていた。