お正月から、大正オペラの美人たちを眺めている。
原 信子、木村 時子、澤 モリノから、明石 須磨子、英 百合子、相良 愛子まで。
彼女たちの出現した時期、それまで全盛だった娘義太夫がみるみる凋落してゆく。
「どうする連」にとってかわったペラゴロたちは、澤 モリノたちの歌に酔いしれ、その動き、その肢体におののき、心臓の鼓動が高鳴った。ときには、「彼女」が歌いだそうとした瞬間に、いま、おのれの人生に何かきわめて重要なことが決定されるという思いにかられながら。・・
誰もが、劇場につめかけて、舞台にあらわれた美少女たちの一顰一笑(いちびんいっしょう)に胸ときめかせ、とりとめもない恋の夢想に憑かれた。そういうペラゴロたちが、浅草にいっぱいあふれていたのだろう。
ああ、今日の紅顔可憐は、明日の皺顔曲腰たるは誰も知るひとの運命(さだめ)なれども、今、この歌劇女優の写真を眺めつつ、若き昔は彼女等が花前の蝶のごとく、光煌く舞台に嬋娟たる肢体をあらわし、箆吾郎の目を奪いしかと想像するに、如何にその時の隔たりたるかを思い給え。
彼女たちは「洋装」の美人であった。ゆたかなブロンド、ブリュネットは、すっきりした頬にまつわり、あらわな肩や胸もとに落ちている。これほど美しい肩や胸もとを見たことがあったろうか。しかも、その肌の白さ。
それは日本の女がもたないものだった。
もし、推測がゆるされるとすれば、大正オペラは、「自由劇場」から「築地小劇場」に発展してゆく中間にあって、やがて、「カジノ・フォ-リ-」や「笑いの王国」のような大衆演劇と、いわゆる「新劇」の分水嶺をなしていたのではないだろうか。
荷風の『腕くらべ』、藤村の『新生』、万太郎の『末枯』の時代。にせ画学生、今 東光、不良少年サトウ ハチロ-がヨタっていた頃。
一枚の番付から、自分では見たこともない時代の美女たちを思う。これも私の趣味なのである。