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作家にもいろいろあって、世にときめく流行作家もいれば、ある一時期に多数の読者に読まれながら、やがて忘れられる作家もいる。
いっとき、もてはやされながら、季節が過ぎて人の口の端にのぼることもなく、かえって否定的な評価しか与えられない作家もいるだろう。

昭和初期に、たいへんな人気を博して、20巻ほどの全集や、10数巻の選集が出た作家がいた。当時、佐々木 邦とならぶユ-モア作家だった。
だが、いまや奥野 他見男は完全に忘れられた作家といってよい。

少年時代に奥野 他見男の『雨の降る日は天気が悪い』、『高い山から谷底見れば』といった作品を読んだが、内容はまったくおぼえていない。文章は雑駁、小説としての構成は投げやりで、当時はおもしろかったらしいユ-モアも、時代を隔てては無味乾燥といった作品ばかり。中学生でもおもしろいと思えなかったことはおぼえている。
最近、彼の作品を読み返してみたが、村上 浪六ほどにも文学史的に、批評的に論じる必要のない作家だった。ここでは中編小説『芳子さん』をとりあげてみよう。

『芳子さん』にはスト-リ-らしいものはない。身辺小説というべきか。
冒頭は、スランプ気味の作家が、雨の日に鬱屈している。
「此の広い東京、此の華やかな東京、此の広い東京、此の歓楽の東京、己(お)れはもう総てを尽くしてしまった。己(お)れは新しい何かを求めなくちゃならぬ。」
妻は夫に気ばらしに旅に出たらとすすめる。ところが、はげしい雨できゅうに中止になって、ひとりで旅に出ることになる。(ここまでを、品川~国分津間の列車のなかで書いている。)

出かけるので靴を新調する。愛娘の「静子(ちこ)」ちゃんに銀座で靴を買ってやったこと。靴みがき。(小田原軽便鉄道、停留所前、さかい屋待合所で書いている。)

品川から国分津行き。藤沢で乗り換える。(湯河原、天野屋旅館についた晩に書いている)流行作家だっただけに、よほどの速筆だったらしいことがわかる。
(つづく)