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ヤスナヤポリアナのトルストイの旧宅、そして墓に詣でたことがある。

墓に寄ったあと、近くのレストランに案内された。
ソヴィエト作家同盟の通訳、エレ-ナ・レジナさんが案内してくれた。いっしょだったのは、作家の高杉 一郎、畑山 博だった。
ヤスナヤポリアナには、各地から観光客が集まるらしく、トルストイの人気がわかるのだが、このときも二十名ばかりの客が、それぞれのテ-ブルについて談笑していた。
私たちは、朝、モスクワから車を飛ばしてきたので疲れていた。それに、トルストイの墓に詣でた感慨はそれぞれの胸にあったはずで、お互いに黙ってすわっていた。エレ-ナさんも、連日、私たちの相手をしていて、疲れていたと思う。
けだるい眠りを誘うような晩夏の午後だった。

ロシアのレストランに立ち寄って、注文したものがすぐに運ばれることは絶対になかった。早くて三十分、遅ければ小1時間は待たされる。コ-ヒ-一杯だろうと、その日の食事のメニュ-だろうと、そのくらいの時間は待たされるのだった。
老齢の高杉 一郎は、腕を組んで居眠りをはじめた。エレ-ナも眼を閉じていた。畑山君も眠っていた。
私は、見るともなく客たちを見ていた。
隣りのテ-ブルに二、三人の先客がいた。ひとりは黒いコ-トを着ていた。

不意に、フラッシュが光った。
隣りのテ-ブルにいた男のひとりが、カメラを出して、私たちを撮ったのだった。エレ-ナも眼をあけた。
時間にして、ほんの10秒くらいだったと思う。男たちは、コ-ヒ-を残してテ-ブルを離れた。まったく自然な動きで、そのまま出て行った。
そのとき、エレ-ナが私にむかって、低い声で、
「いま、(彼らが)写真、撮りましたか」
と、私に訊いた。
エレ-ナが真剣な声で訊いていることに少し驚いた。
「ええ、撮っていましたよ」

それだけのことだった。しかし、私たちの知らないところで何かの動きがあるらしい、そういう気がした。
ヤスナヤポリアナにきて、わざわざ日本の旅行者のスナップショットを撮るというのもおかしな話だった。私は写真に凝っていた時期があるので、相手はキャンデッド・フォトを撮りなれていることが感じられた。カメラマンとしてもプロ級に違いない。
高杉 一郎も、畑山 博も、写真を撮られたことに気がつかなかったらしい。

それだけのことだった。
エレ-ナ・レジナさんは、日本語の通訳としては一流で、作家同盟では日本の担当だった。日本の文学作品もいくつか翻訳していた。
夫はKGBの大佐と聞いた。