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カツギ屋と呼ばれるもの売りがくる。ほとんどはおばさんだった。
それぞれの縄張りがきまっていたらしく、月に二、三度、野菜や、魚の干物などを売りにくるのだった。

春になると、船橋からてんびん棒をかついで、ウナギを売りにくる老人がいた。痩せて、しなびていたが、肌が赤銅色だった。玄関ではなく、ずぃっと台所の横にきて、声をかける。
原稿を書いている途中でも、私がウナギ屋の相手をした。この魚屋のもってくるサカナやウナギは、いつもおいしいものばかりだった。
まるくて平たい桶から、ウナギをつかみ出す。背中の青墨いろ、腹の白い肌が、宙にくねったり、老人の手にまきついたりする。エラもとに指先をぐいっと当てて、大きなマナイタにのせる。ウナギがニョロニョロ動いても、老人が左の掌で撫でつけると、たちまちおとなしくなる。その手にはいつの間にか錐が握られて、つぎの瞬間、ウナギの頭につき刺さる。マナイタには、錐の跡がついていて、包丁の背でトントンと錐が打ち込まれる。
ウナギのエラ下から腹、尾の先まで、スッと刃が動く。肝(きも)と内臓がくり出されると、返す切っ先で首をはね、カシラ付きの背骨が剥がされる。両開きになっても動いているのをさっくりと切り別けてゆく。
ほんの数秒のことだった。

この老人は、背丈が低く、痩せて、しなびていたが、頑丈なからだつきで、眼つきにするどい輝きがあって、いなせな感じがあった。それとなく、話をむけてみた。
「若い頃は、ずいぶんさわがれたんでしょう?」
老人は眼をあげて、にやりと笑った。
「いろいろわるさをやってきやしたからね」
ウナギをさばき終わって、老人が立ちあがった。
「失礼でござんすが、旦那、ご商売は?」
「翻訳をしているんだよ」
「そうでしたか。・・いえね、いつも(家に)おいでになるんで、何をなさっているのかと不思議に存じておりやしたが・・何かお書きになってるんだろう、と思っていましたんで」
私はアメリカの小説を訳しているといった。
老人は遠くを見るような眼になった。
「毎日、お勉強でござんすなあ。・・わちしも、若い時分、アメリカに行ってみようかと思ったことがありましたよ。そのうちに徴用にとられちまって。マニラからペナンあたりしか行ったことはありやせんが」
「戦時中ですか」
「何もできやしませんよ。敵さんの潜水艦がうようよしてやがって。こっちは、大砲も載せてなくてね。ウナギみてえにニョロニョロ逃げまわってただけで」

四、五年ばかりきてくれたが、ある年から姿をみせなくなった。
その老人が売りにきたウナギほどおいしいウナギは食べたことがない。