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TVで見た忘れられないシ-ン。

いわゆるバブル経済が破綻して、日本の政治、経済が迷走していた時期。のちに「空白の十年」と呼ばれる。おなじ時期、ロシア経済はさらに危機的な状況にさらされていた。タイ経済は、禿鷹のような金融ファンドの餌食になって、国家経済までか危機に瀕していた。
日本では無能な政治家がつぎつぎに首相になった。つぎつぎに短命内閣ができて、つぎつぎに倒れた。スタグフレ-ションの圧迫が私たちの生活をおびやかしていた。小泉内閣が登場してきたとき、日本の不況が世界に波及すれば、世界的な規模で経済危機が現実のものになりかねないとまで懸念されていた。
当時、ある日本の経済ジャ-ナリストが、ション・ガルブレイスにインタ-ヴュ-している。日本の経済はどうして破綻したのか、と。
残念なことに、ガルブレイスの答えを正確に引用することはできないのだが、1929年の大不況をひきあいに出してガルブレイスがいった言葉が忘れられない。
「人間は忘れるものだ」。
私は驚いた。ガルブレイスほどの人の意見としてはまことに平凡。さし迫った苦境に追い込まれている日本経済に対してこれでは何も語っていないにひとしい。ジャ-ナリストも苦笑した。
そこで、インタ-ヴュア-は別の問題に移った。そのひとつひとつにガルブレイスは、きちんと答えたが、驚くべきことに、彼はおなじ「人間は忘れるものだ」、「人間は忘れるのだ」、「人間は忘れてしまう」という意味のフレ-ズを四回くり返した。

これを見た私は、ガルブレイスの慨嘆はわかったが、日本経済の苦境の打開に関して積極的な提言をしていないと思ったのだった。もともと関心がないのだろう。失礼だが、もう老齢のガルブレイスには、苦境にのたうちまわっている日本などどうでもいいことなのかも知れない。そう思った。日本と違って、好況期に入っていたアメリカはグリ-ンスパンがみごとな判断を見せてアメリカを牽引していた。
私は、このガルブレイスにひそかな軽蔑さえおぼえたが、それでも、「人間は忘れるものだ」という事はは私の心に残った。

今の私は、当時のガルブレイスの慨嘆は正しかったと思う。彼の言葉には、長い人生を生きてきた人の叡知が秘められていたのだ。私はそれに気がつかなかった。そのインタ-ヴュ-で彼が語った日本の経済再建の見通しは、ほぼ正確に的中している。しかし、短時間のインタ-ヴュ-で、彼としては、たいしたことは答えられないと判断したに違いない。だからこそ、人間として忘れてはならないことがある、ということだけはいいたかったのだと推察する。
一度ではなく、二度三度、さらに自分にいい聞かせるように、おなじ言葉をくり返したとき、ガルブレイスの表情になぜか苦渋の色が見えた。