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ニュ-・ジャ-ジ-州の裁判所が・・・男と男、女と女の婚姻を合法的なものと認める決定をくだした。(06.10.25)同性愛のカップルにとっては朗報だろう。
私は『ルイ・ジュヴェ』のなかで書いのだった。

現在の私たちは同性愛に対して、さして反感をもたない。ただし、ジッドが     『コリドン』の注に書いたように・・・《はじめのうちは知らないふりをして     いたこと、あるいは、知らないほうがよいと考えていたことを、以前ほどおそ     れをなさず、冷静に見るようになってきた》だけのことだろう。

こう書いたとき、私なりに感慨があった。
戦後すぐに、内村 直也先生が指導した「フイガロ」という、劇作を中心にした若手のグル-プの人たちと親しくなった。後年、〈青年座〉の劇作家になった西島 大、作家として女流文学賞をうけた若城 希伊子たちがこのグル-プにいたのだが、リ-ダ-格のひとり、鈴木 八郎がホモセクシュアルだった。
鈴木 八郎はたいした作品も残さなかったが、私よりひとまわり以上も年上で、その頃の演劇界ではけっこう名の通った存在だった。ホモセクシュアルだったことを隠さなかったせいもある。

彼の話は驚くべきものだった。鈴木 八郎は陸軍に配属されてアリュ-シャンに派遣された経験があった。アッツの日本軍が「玉砕」したため、「キスカ」から撤退した部隊にいたらしい。その体験も驚くべきものだったが、戦時中の軍隊内で、ホモセクシュアルであることで受けた侮辱や、冷遇、苦しみや、上官のいじめ、おなじ内務班の兵たちによるきわめて反社会的ないじめ、制裁のきびしさもつぶさに教えられた。
ただし、鈴木 八郎は、まったく深刻な顔をせず、まるで浅草の軽演劇や、ドサまわりの芝居の話でもするようで、こういう話をきいて私たちはゲラゲラ笑いころげた。

それまで同性愛についてまったく知らなかった私は、鈴木 八郎と親しくなってから、はじめて同性愛について性科学的に考えるようになった。
それだけではなく、同性愛に対する社会的な偏見や差別が牢固として存在することを知ったのだが、現実にも、犯罪、とくに同性愛にからむ殺人事件が多いことを知った。

私は日本でも男と男、女と女の婚姻を合法的なものと認めるべきだと考える。
ただし「美しい日本」では、まだまだ同性愛の人々が、ホモセクシュアルであることを秘匿して生きなければならない。私たちのいじめや差別がなくなるとも思えない。