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作家がおかしなことを書いていても、私は別に気にしない。ただ、こんなことは書かないほうがいいのに、と思うだけである。
保高 徳蔵の最後の作品に、戦時中にグレアム・グリ-ンの『第三の男』を読んだと書いていた。
この作家は明治22年生まれ。英文科の出身。むろん、戦時中にグレアム・グリ-ンを読んだ可能性がないとはいえない。
植草 甚一(明治44年生)は、戦時中にグレアム・グリ-ンを読んでいたという。このことは、直接、植草さんから話を聞いた。読んだのは上海の海賊版だったという。当時、グレアム・グリ-ンの名前を知っていたのは、おそらく植草 甚一ぐらいのもので、それも「スペクテ-タ-」の映画批評あたりから関心をもったと思われる。植草 甚一を通じて、双葉 十三郎、飯島 正なども読んだはずである。
私が植草 甚一の名を知ったのは、昭和19年だった。当時、「ポ-ル・ヴァレリ-全集」(筑摩書房)の月報の片隅に、編集部がヴァレリ-の『ヴァリア』を探している旨の告示が出ていた。そのつぎの月報に、世田谷在住の植草 甚一氏から『ヴァリア』を所持しているという知らせがあったという短い報告が出ていた。
ヴァレリ-に関心をもっていた私は、戦時中に、そんな貴重な本をもっている植草 甚一という人物の名がはっきり心に刻みつけられた。
はるか後年、私は植草 甚一と知りあう幸運をもった。ここには書かないが、戦時中にどういう経緯でグレアム・グリ-ンを入手したか聞いて驚かされた。

植草 甚一の話から・・・戦後まもなく私がヘミングウェイの『持つことと持たざること』をはじめて読んだのも、じつは上海の海賊版だったことを思い出す。

保高 徳蔵が、戦時中に、グレアム・グリ-ンを読んだとしても『第三の男』を読むはずがない。なぜなら、この作品は戦後に書かれたもので、それもキャロル・リ-ドが映画化するまで誰も知らなかったはずだから。
小説家は何を書いてもいい。しかし、こういう誤りは書かないほうがいい。