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1943年(昭和18年)10月21日、私は明治神宮外苑競技場にいた。現在の国立競技場である。この日、降りしきる雨のなかで、出陣学徒壮行会が開催された。
私は中学生だったが、全校生徒がこの競技場に参加させられた。数万の大学生、高校生、中学生がスタンドを埋めつくした。
4月に、連合艦隊司令長官、山本五十六が戦死して、戦局がただならぬ状況に立ち至っていることは中学生にも想像がついた。それまで、学生は徴兵猶予という措置で、戦争にかかわりなく勉学にいそしんでいられたが、これが撤廃されて、在学中の学生も招集されることになったのだった。
東大を先頭に各大学の学生たちが担え銃でつぎつぎに大行進をつづけていた。私は、観客席のなかで息づまるような思いで大行進を見ていただけだったが、見送っている学生たちから昂奮しきった大歓声がわきあがった。私も声をからして叫んでいたひとりだった。

首相だった東条 英樹が激励の演説をしたが、私のすわっている席からは豆粒のように見えただけだった。国家未曾有の非常時にあたって学生諸君は粉骨砕身、米英撃滅に邁進せられんことを、といった内容の演説だったと思う。しかし、群衆は熱狂していた。観客席にいた学生たちの激烈な歓声が神宮競技場を揺るがした。
このとき中学生の胸に何があったか、今になってもあざやかに思い出すことができる。