ある日、銀座の試写室で、その老人を見かけた。それまで一、二度見かけたことはあったが、どういう人なのか知らなかった。
むろん、映画関係者には違いないが、かなり前に退職した重役か何かで、たまたま試写室に姿を見せる程度の人だろうと思った。
その老人のお帰りになるときには、現役の部長が手をとらんばかりにしてエレベ-タ-までご案内するのだった。
その日の映画は、エロティックな内容で、前評判も高く、せいぜい三十人程度しか収容できない試写室に人がつめかけていた。大多数は、週刊誌の芸能ライタ-だが、有名な作家や、映画批評家の顔も見えた。
その日の試写で、ご老人がたまたま私のとなりにすわった。
映画がはじまると、すぐに寝息が聞こえた。
試写が終わって、観客が席を立つと、ご老人が眼をさまして、ヨタヨタしながら外の廊下に出た。外にいた若い担当者は挨拶もしなかったが、部長は丁寧に挨拶して、エレベ-タ-までご案内した。ご老人はご機嫌よく帰って行った。
当時の私は、この老人をどう見ていたのか。
いくら前評判のいい映画でも、試写を見にきて眠ってしまうくらいなら、見ないほうがいい。それに、試写室は満員になれば入場を断られる人も出てくる。マスコミ関係者、とくに新聞の芸能貴社たちは時間をやりくりして映画を見にくるのだから、試写を見るかどうかで、とりあげかたが違ってくる。
だから、暇つぶしに試写室にくるような老人はできれば遠慮してほしい。
そんなことを考えたかも知れない。
若気のいたりであった。今の私は、おのれの不遜を恥じている。
彼はほんとうに映画を愛していたのだと思う。自分では、もう映画制作の現場にかかわることがなくなっている。しかし、かつて彼が作ってきた映画が、その後どれほど発展をとげたか。おそらく、どんな映画を見ても、自分が想像もしなかったほどの変化に驚かされていたのではないか。
あるいは、彼は幻を見ていたのか。豪華なセットや、たとえようもなく美しい異国の女たちは、ことごとく虚しい見せかけの仮像にすぎない。
だが、そうしたシ-ンの一つひとつに、(はじめから比較にならなかったにせよ)かつて自分が作り出した豪奢や、イメ-ジの優雅さ、たくさんの役者、女優たちの、おかしな、悲しい物語を重ねてはいなかったか。
あるいは、かつてフィルムに現像し、焼き付けた自分の信念や、希望を見てはいなかったか。
そのご老人は伊藤 大輔。昭和初期の映画監督。
しばらくして、彼の姿を試写室で見ることがなくなった。