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熱心な映画ファンは公開前に大ホ-ルの試写を見ることがある。
しかし、それより前に行われる社内試写、試写室のようすを知っている人は少ないだろう。
試写室には、名だたる映画批評家たちが顔を見せる。淀川 長治、植草 甚一、双葉 十三郎、飯島 正といった有名な映画批評家や、荻 昌弘、田中 小実昌、小川 徹、佐藤 重臣、渡辺 淳といった人たちが居ならぶとなかなか壮観だった。
私はある時期まで映画批評を書いていた。週刊誌で5年、新聞で10年、映画批評をつづけていたので、週に3日は都内の試写室に通っていた。
→ (「コ-ジ-ト-ク」No.86)

映画を見たあと、親しい人たちが近くの喫茶店に寄って、見てきたばかりの映画の話をする。植草 甚一さんに誘われたときは、映画の話よりも小説の話が多かった。
たまにその映画の宣伝担当の人が座談会を用意する。そんなこともあったが、たいていはつぎの試写に急行することが多かった。
それでも、多くて200本見るのがやっとだった。

戦後すぐ、ある映画のホ-ル試写に志賀 直哉が見にきていた。ただの偶然だったが、帰りの客で混雑する階段を、ずっと志賀 直哉のすぐうしろについて降りたことがある。
観客たちは長い列になって、階段を降りるのだった。
私は雑誌の写真で作家を見ていた。これが有名な志賀 直哉なのか、と思った。
やがて階段を降りきって銀座の通りに出たとき、たまたま前方から歩いてきたアメリカ占領軍の兵士が、志賀 直哉を見た。不意に足をとめた兵士は、さっと不動の姿勢をとって挙手の礼をした。どうやら日本の将軍とでも思ったらしい。
志賀 直哉はごく自然に会釈してその前を通りすぎた。
私はすぐうしろを歩いていた。ただ、それだけのことだが、後年、その試写会場に行くたびに、まだ焼け跡ばかりで見るかげもない銀座の風景と重なって、志賀 直哉のことを思い出した。

長い期間、試写室の暗がりで過ごしてきたせいか、最近の私はほとんど映画を見ることがなくなった。