「絶望ごっこ」という遊び。むろん、誰も知らない。
囲炉裏のある部屋に何人かの常連があつまる。みんなで囲炉裏の火を見つめながら押し黙って、ひたすらぼんやりして仮死状態のようにしている。
この遊びは、いささか荒涼として見えるのだが、めいめいの本心に対してむりを感じないところがいい。
いっけんバカバカしいお遊びだが、次第に焚き火の香りが五体にしみとおるような気がして、自分の部屋に引きあげるのがつまらなくなってくるから妙なもの、だそうな。
井伏 鱒二の初期の短編、『末法時論』に出てくる。
山でひどい雷雨におそわれて、何もかもおっぽり出して、いそいで岩かげや、這松の根っこの下にもぐり込む。生きたここちがしない。ガタガタふるえながら、ツェルトザックをひっかぶる。何も考えられない。口に出てくるのは「ちきしょう」とか「くそっ」ということばだけ。途中で引き返せばよかった、などと考えるのは、もう少し頭が働くようになってから。
当面の危険が去りはじめて、まだからだのふるえはとまらない。夢中でザックを引き寄せ、なんとかビバ-クの準備をする。
やっとの思いで、携帯コップ一杯のお湯をわかす。
バ-ナ-の火をじっと見ていると、もう少し落ちついてくる。まだ生きたここちがしないのだが、その小さな火を見つめている。
それが私の「絶望ごっこ」だった。