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ある時期、神田猿楽町にあった「翻訳家養成センタ-」で教えていた。(現在の「バベル」である。)
途中で、「文章教室」めいたコ-スをはじめた。

戦後、日本の教育は子どもたちに、個性的でゆたかな発表能力を身につけさせようとしてきた。その結果、皮肉なことに、ろくな文章ひとつ満足に書けない連中ばかりが多くなった。
私たちは、文部省の国語教育のおかげで、日本語の文章についてどれほどゆたかな知識を得たのか。もはや、日本語の文章について考える必要もなくなってしまったのか。
残念なことに、いまの人たちが文章を書けなくなったのは、中学、高校で、まことにすばらしい国語教育、作文教育をうけてきたおかげなのである。

どうすればいい文章が書けるのか。
ある評論家は「あるがままに書くのはやめよう」といった。冗談じゃない。あるがままに文章が書けたらたいへんなものではないか。別の作家はいった。「ちょっと気どって書け」と。わるい冗談だね。ちょっと気どっていい文章を書いた作家がいたら、おめにかかりたいものだ。
(つづく))