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『闘牛』はメキシコが舞台。
メキシコを舞台にした芝居は、テネシ-・ウィリアムズの『浄化』を手がけてから二度目だった。
メキシコが好きになったのは、サム・ペキンパ-の映画を見ていたせいもある。ペキンパ-も最後の作品一本は見るも無残ものだったが、あとの作品はいまでも好きである。
日本のTVコマ-シャルで・・・ジェ-ムズ・コバ-ンがダ-ツをやっている。2本投げてみごとに命中する。3本目を投げようとした瞬間にドアが開いて、幼い少女が姿を見せる。投げようとしていたコバ-ンがその少女に眼をやる。緊張がほどける。
このコマ-シャルの演出がサム・ペキンパ-だった。わずか数十秒のコマ-シャルだが、みごとな演出で、いつまでも心に残った。
『闘牛』の演出をしながら、劇団内部の軋轢や、幹部たちの反目といった陰湿な空気、さらには稽古の途中でつぎからつぎにむずかしい問題がふき出してきたとき、私は「革命児サパタ」を思い出していた。
スタインベックのシナリオ、イライア・カザンの演出だったが、ラスト・シ-ンは、マ-ロン・ブランドの「サパタ」が、誰もいなくなった村へ単身乗り込んで行って、不意に敵兵に狙撃され、あえなく絶命するシ-ンである。
三百発の銃弾をうけて無残な死をとげた「サパタ」の姿に、私は感動していた。

芸術家も、ああいう姿をさらすとき、ほんとうに芸術家の名にあたいするのではないか。そんなことを考えながら、演出していた。

『闘牛』演出は私の最高の仕事になった。