『闘牛』ははじめて読んだときから、いつかは手がけてみたいと念願しつづけてきた戯曲だった。
『闘牛』を選んだのは、登場人物が多数出てくるので、日頃、舞台に立つことのない研究生たちに機会をあたえてやろうと思ったことも理由のひとつ。
芝居の演出はそう楽な仕事ではない。弱小劇団のかなしさ、はじめに予算ありき。ぎりぎりの予算のなかで作ってゆくのだから、毎日、無から有を生じさせる経済原則をつきつけられながらものを作るようなもので、極端な例では、ライト1本でも節約して、舞台上では変わらない効果を考え出す。そんなことの連続だった。
大劇団の演出家なら助手に命じてすませられることでも、小芝居の演出となると、ありとあらゆる困難にぶつかる。みんな貧乏で、昼、女優が食べたラ-メンの残りの汁をすすって食事がわりにするような役者もいた。ぜったいに芝居で損失を出してはならない。これが私の信念になった。ところが、『闘牛』の演出にかかってから、劇団の内紛が起きて、出演者のあいだに動揺がひろがり、さすがに一時は演出意欲もそがれてしまった。
どうして、こんな戯曲を選んでしまったのだろう?
それまで演出家としての自分の才能に疑いをもつことがなかったのに、このときは私の演出を延期して、別の演出家がつぎの公演に予定していたレパ-トリ-にさし変えることまで追いつめられた。こういう状況のなかで、この芝居を上演してもコケル。そんな重苦しい自責感に似た思いにおそわれていた。
もっとも心配性の私は、よく、そんな状態になることがあった。なんど芝居を演出しても、こういう性質は直らない。むろん、出演者たちには、そんなようすは少しも見せないのだが。
(つづく)