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レスリ-・スティ-ヴンスの『闘牛』を演出したのは、いつだったのか。

当時、私は「新劇場」という劇団で5本、ほかの劇団で3本、芝居を演出した。成功したものもあるし失敗したものもある。「新劇場」の演出家としては、『闘牛』がいちばん成功したものだった。
私は、自分に演出できない戯曲は絶対に選ばなかったし、興味のない戯曲を演出したことはなかった。
後年、福田 恆存が中村 光夫の戯曲を演出していたとき、訊いてみたことがある。
「どうして中村 光夫の芝居なんか演出なさるんですか? 福田さんが演出なさるというので期待していますが、どこが気に入られたのか、見当もつかないんですが」
「あれゃあ、つまらない芝居だよ」
「じゃ、どうして演出しようと思ったのですか」
「だってきみ、あんな芝居、どこでもやりやしないよ。だから、やってみようと思ったんだ」
この芝居、ひどく不評だった。              (つづく)