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いまはもう誰も読まない本を読む。
鶴田 知也の『若き日』(コバルト叢書/1945年)を見つけた。昭和二十年十二月一日発行とあった。定価、参円八十銭。すなわち敗戦後の大混乱のさなかに刊行された作品だった。
鶴田 知也は、「文芸戦線」系のプロレタリア作家として知られている。昭和11年、『コシャマイン記』で芥川賞を得た。
敗戦直後に、この作家は何を考えていたのか、どういう思いでこの作品を書いたのか。もしかすると作家がもっとも早く敗戦に対応した例かも知れない。
そのあたりの興味で読んでみた。おどろいたことに、ごくありきたりの恋愛小説だった。戦争は影もかたちもない。むろん、敗戦直後の日本の姿もない。新農民をめざして北海道の酪農に従事する青年が、デンマ-クの酪農家の本に刺激されたり、老子の思想に関心をもったりしながら、美しい娘と恋愛する。それだけのことで、内容はおよそ空虚で、さりとてメルヘンを読むような楽しみもなかった。戦意高揚のために書かれたものではなかったが、小説としてはまったく見るべきところがない。これは驚きだった。というより、信じられない思いがあった。
いわゆる「玉音放送」で戦争が終わって、占領軍が日本全土に展開する(9月12日だったと思う)まで、民衆は虚脱したようにとまどい、神州不滅を信じていた軍人たちはまだまだ狂気にとらえられていた。すべてが突然に沈黙し、すべてにわたって、絶望と希望がせめぎあい、白日のなかで佇ちつくしていた日々。日本人の誰もが、これからどうなってゆくのかという思いにかられていたなかで、この作家がこういう小説を書いている。
おそらく戦時中に農業雑誌か何かに連載され、出版の予定だったものが、敗戦直後の激動のなかで、出版社としてはほかに出せる作品もないまま出したに違いない。
『コシャマイン記』の作家が、戦後すぐに出した作品が、こういうものだったことに、私なりに感慨があった。というより、なんともいえないいたましさをおぼえた。
あの混乱のなかで、この作品がはたして読まれたのだろうか。おそらくほとんど誰にも読まれずに終わったのではないだろうか。
この小説は、書かれたときに死に、出版されたときに死んだ。そしていま、私に読まれることによってまたも死ななければならない。なんという無残なことだろう。
私はこの小説を読んで、一日じゅう暗澹たる思いだった。
作家にかぎらず、芸術家には、自分ではどうしようもない運命にながされることがある。この本が出たとき、鶴田 知也はみずからの運命をどういうふうに引き受けたのだろうか。