評伝を書くとき、逸話(アネクド-ト)を入れるかどうか。けっこう真剣に悩んだりする。逸話は、その人の意外な一面を物語っていたり、同時に、その逸話こそがいかにもその人にふさわしいものに見えるから。
あるとき歌川 国芳は、さる大名の依頼で一双の屏風絵を描くことになった。表は山水画だが、裏は江戸市中の女風呂の図という注文だった。
同門の国貞もおなじ注文を受けた。国貞は身分の高い諸侯の眼にふれるものと心得て、つつしんで筆をとり、美しい女たちの入浴の図を描いた。
町絵師の国芳にしても女湯の中までは知らないので、近所の湯屋(ゆうや)のあるじに頼み込んで、毎日、釜湯の板戸の隙間から女湯をのぞかせてもらった。
裸の女たちの肌、からだつき、性毛ばかりではなく、女たちの年齢や、職業、階級といったあたりまで丹念に写生した。
やがて、絵屏風がその殿様のところに届けられた。その絵には、さまざまな女の姿態があざやかに描かれていた。流し場でまともに正面を向いてかけ湯を使っている女、初心らしくつつましく腰を落としている娘、みるからに商売女とわかるあけすけな姿、たちこめる湯気のなかに、裸女たちのししむらが描きだされていた。
某侯は、一夕、この屏風の披露の宴を張った。招かれた諸侯は、国芳のみごとな技量を称賛し、このような絵を描かせた主人をうらやんだという。
国貞の絵には、さしたるお褒めのことばもなかったらしい。
私が歌川 国芳の評伝を書くとして・・・このエピソ-ドを書き込むだろうか。
(つづく)